1257│信玄公旗掛け松(日野春駅構内にあった松。汽車の煤煙により枯れ、裁判になった)

Top > Old Tale > 1257│信玄公旗掛け松(日野春駅構内にあった松。汽車の煤煙により枯れ、裁判になった)

ソース場所:日野春駅

●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月30日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

[概要]

信玄公旗掛け松      (富岡)

「旗掛け松」は、今の日野春駅の構内にあった松で、またの名を「笠掛け松」「甲斐の一本松」などと呼ばれた大きな松のことです。
この松は、七里岩台地の高台にありましたから、はるか遠くからも見ることができました。
武田信玄が戦いに行く途中、この松に旗を立て掛け休息したという言い伝えから、信玄公の旗掛け松と言われるようになりました。また、信玄公は、ふだん城を構えなかったので、戦が始まるとこの大きな松に旗を掲げて兵士を集める目標にしたり、戦いから帰った時には親戚縁者が兵士等を祝福し出迎える時の目印にしたともいわれています。
明治37年に中央線が開通し、この松の近くを鉄道が通るようになりました。それから何年かたつと、松の勢力は次第に弱まり、大正4年頃になると枯れてしまいました。松の所有者は枯れた原因は、汽車の煤煙と振動のためであると、鉄道院に対して賠償を求める裁判を起こしました。
これが「信玄公旗掛け松事件」と呼ばれる「公害訴訟裁判」です。裁判の結果、鉄道院は松の所有者に賠償金を支払うことになりました。
現在公害による裁判がたくさん起こされ、環境汚染が問題になっていますが、この裁判は日本で最初の公害裁判勝訴例といわれています。     (細田令次)

長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場

このデザインソースに関連する場所


日野春駅 信玄公旗掛松碑
ページトップ