1258│競馬っ原

Top > Old Tale > 1258│競馬っ原

ソース場所:北杜市長坂町塚川字泥里

●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月30日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

[概要]

競馬っ原     (塚川)

ドーン・・・、ドーン・・・。日野春の青空に花火が打ち上げられました。大正13年11月。きょうは年2回の「日野春競馬」の日。明治37年にできた日野春駅から、1km離れた塚川地区の競馬場まで、山梨県中から集まった競馬ファンの長い列が続きます。
馬場のまわりにはムシロ仕立ての露店がズラリと一列に並び、青空には万国旗。ばくち打ちも大ぜい集まるので、5年前にできた日野春警察署の臨時派出所も設置され、それはそれはの大にぎわい。
塚川字泥里(どうり)。ここがおじいちゃんがなつかしそうに語る「競馬っ原」です。今は、原っぱの中に家と畑が点在していますが、昭和の終わりまでは、高い草をかきわけると馬場のコーナーのおもかげを見ることができました。
時代は、大正末期から昭和の初めにかけてのこと。当時の日野春村塚川組が、北巨摩郡産牛馬組合へ、部落所有地を10年間の契約で貸して開いたのが、この地方競馬でした。
レースの規模は、横一列に馬6頭が並ぶくらい。昭和初年が最盛況でした。競馬の時期になると、馬が日野春駅に貨車で到着し、近くの農家に預けられ、馬を散歩させる風景が毎朝見られました。10年契約が終了した頃は日本中が不況にみまわれていましたが、馬場を1000mに拡張して、付属設備も整える話が出ました。でも、それには当時で2,3万円かかり、地形的にも不可能だということで、日野春競馬の契約は、その後更新されなかったということです。     (澤谷滋子)

長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場

このデザインソースに関連する場所


北杜市長坂町塚川字泥里
ページトップ