0512│おなんが淵

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ソース場所:都留市桂町3417 宝鏡寺、尾長淵 都留市鹿留[35.532973,138.876738]

●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」   
       ・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版        
       ・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影  : 2014年09月04日(宝鏡寺)・2015年12月15日(尾長淵)
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

おなん淵のお膳
古渡山が裾を引いて終わるあたり、松の緑が美しい小高い山が鹿留川に入ります。
その流域に『おなん淵』が静かに蒼い水をたたえています。
その昔、この淵の近くの長者の家に、「おなん」という気だてのやさしい娘が奉公しておりました。おなんは働き者で近所の人の評判もよく、もちろん主人も目をかけ可愛がっていました。
ある日のことです。おなんはふとしたことから、主人が大切にしていたお膳をこわしてしまいました。日頃優しかった主人の叱り方が、いつになく激しかったので、おなんは急に悲しくなり、とうとうその日の夕方、思い余ってそっと家を出てしまったのです。
主人は、辺りが次第に暗くなるのにおなんの姿が見当りませんので、一時は怒りにまかせてひどく叱ったものの心配になり、おなんの名を呼びながら必死で探しましたが、どこにもおりません。驚いた主人は近所の人々にも頼みました。そして『おなん』『おなん』と探し求めるその声は、一晩中山や谷に続きました。それでも、とうとうおなんを見つけることはできませんでした。
翌朝、淵の岩場の上に、おなんのはいていた草履がきちんと揃えてあるのが見つかりました。この淵に身を投げていたのです。大さわぎとなりましたが、おなんのなきがらは、いつまでたってもその深く蒼い水底に沈んだままで浮ばなかったのです。
その後、村に人寄せのある時など、前の日に『お膳を十膳お貸しください』と紙に書いて淵に浮べておくと、翌朝にはお膳が行儀よく浮かぶようになりました。ところがある時、借りたお膳を五膳だけ返さなかったので、それからは貸してくれなくなりました。
今もその借りた黒い漆塗のみごとな膳が宝鏡寺に一膳、古渡のある家に四膳、残っているということです。

 

山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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おなん淵
都留市の古渡から十日市場にかけて、蛇行しながら素晴らしい景観をみせる溶岩流の奇岩に恵まれた桂川は、蒼竜峡と名付けられている。その蒼竜峡の古渡に近い方に、尾長淵という底知れぬ滝のつぼがある、滝つぼの両側はびょうぶのように岩がそそり立ち、人でも落ちようものなら、助かることはまずないといわれている。この淵に、おなんの伝説がある。

おなんは、古渡の長者の奉公人であった。気立てよく優しくて、よく気付き、陰日なたなく働くので、主人からも大層かわいがられていた。
ところがある日、おなんは床の間の掃除をしているとき、家宝として大切にしている置物を壊してしまった。主人はけじめはけじめと、あやまちを厳しくしかった。
ふだんしかられたことのないおなんは、やさしい主人にしかられたことですっかり気がめいっていたが、それでも気をとりなおして夕食の仕度にかかろうと、まだ残っていたお勝手の片付け仕事にお膳を十枚重ねて長者の家の近くを流れる桂川に出かけた。川っぷちに立ったとき強い風が吹いてお膳が飛ばされ、川に落ちた。あわててそれを拾おうとすると、バランスを失って残りのお膳も手から離れて川に散った。おなんは吾を忘れてお膳を追った。川の中では足が思うように進まないどころか、お膳を追ううちに、こけの生えた川底の石で足をすべらせた。おなんの体は桂川の流れに消えて行った。
一方、長者の家では、いつもならお勝手支度が始まるという時間がとうに過ぎ、暗くなりかかったというのにおなんがいないというので、ちょっと騒ぎになり始めていた。主人もそれを聞いて、自分がしかったのがもとで、どこかで泣きくれて眠ってでもいるのではなかろうと、みんなで捜させたがどうしても見つからなかった。
心配の一夜が明けて、川下の尾長淵の滝つぼにお膳が十枚浮かんでいるのが発見された。「もしや川に落ちて」と不安にかられ、滝壷は勿論川下もくまなく捜したが、おなんをみつけることはできなかった。やがておなんのはいていた赤鼻緒の草履が川岸に一つと、川の中で石にひっかかった木の枯枝にからみついているもう片方が回収されて、おなんの死をさとり、亡骸のないまま長者の家で手厚く葬られた。
その後不思議なことに、村に人寄せがあるとき、前日の夕方「お膳を十膳貸して下さい」と書いた紙を淵に浮かべると翌朝には十膳のお膳が淵に浮かぶようになった。しかしあるとき不心得者が、借りたお膳の一部を返さなかったために、この願いは聞き入れられなくなったという。
奉公人だったおなんの奉公心だったのであろうと、村人たちはおなんを呑込んだ尾長淵を「おなん淵」と呼ぶようになり今も悲話を語り継いでいる。

内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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椀貸淵
桂川の上流におなんが淵がある。昔おなんという下女が粗相をして叱られ、この淵に身を投げて死んだ。その後村人が膳椀を必要の時この淵へ行って、膳椀何人前と紙に書いて、これを附近の岩の上に置き、お頼み申しますと云って帰ると、翌朝その数だけの品が河原に並べてあり、返す時にも同じ場所におけばよいのであった。所が或時十人前借りて五人前しか返さぬ人があったので、その後は貸さなくなってしまった。今でもその返さなかった膳が、鹿留の光照寺及び神戸和市氏方に保管されているが、それは普通の黒い漆塗りで、それに朱で黍の蒔絵が描いてあるという。

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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都留市桂町の宝鏡寺には返せなかったお膳が残されています。

おなんが落ちたといわれる「おなんが淵」(尾長淵)は、都留市鹿留[35.532973,138.876738]に今も蒼い水をたたえています。

このデザインソースに関連する場所


都留市桂町3417 宝鏡寺
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