0301│無生野

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ソース場所:上野原市秋山無生野

●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」         
●画像撮影  : 2015年10月18日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

秋山村に無生野大念仏があります。
昔、南北朝の時代、後醍醐天皇の皇子に護良親王(もりながしんのう)という方がおられましたが、この親王の悲劇にまつわる人々の魂を鎮めるために、始められたと伝えられています。
建武二年、足利直義(あしかがただよし)のため、鎌倉の牢で首をはねられた親王は、あまりの無念さに死後も刺客 淵部義博(ふちべよしひろ)の顔をにらみつけておりました。義博は怖れおののき、その首を牢獄近くの竹やぶに捨てて逃げました。
これを知った親王の寵姫 雛鶴姫(ひなづるひめ)は、その首をひろい従者と共に鎌倉を逃れたのです。けわしい山を越え、苦難の末に秋山村古福士(こふし)にたどりつきました。そこで七日間をすごした一行は、秋山川をさかのぼり無生野まで来ましたが、その頃の無生野は人家も少なく、宿を乞う家も見当らないままに、権田橋のたもとで野宿することになりました。
その時、姫は護良親王の御子を宿されておられ、すでに臨月の身重でした。しかも折あしく姫は産気づいてしまったのです。
お供の者は、やむなく付近の木の葉を集めてしとねをつくり、そこを産所として姫は皇子を産みました。しかし時は師走、吹く風は冷たくその寒さと重なる疲労のために、お供の者の懸命な祈りもむなしく、姫も皇子も亡くなられてしまったのです。
あまりの悲しさに、家臣たちは姫と皇子のなきがらを近くに葬り、護良親王の霊とともに末長く祀るため、この無生野に止まって山野を拓き、そこに住ついたということ
です。
ひなづる峠は、雛鶴姫が愛する親王の首級を抱き涙ながらに越えた峠を、無生野は宿る家もなく、姫も皇子も短い命を散らせた無常野のことを指して名付けたと伝えられております。     (秋山村)

山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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朱詰めの首を抱いての逃避行。にわかに産気づき、命がけの出産の末の悲劇の地、無生野。このときの血で附近の石が赤く染まり、今でも無生野では赤い石があちこちで見られると言う。

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上野原市秋山無生野
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