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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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The “YAMANASHI DESIGN ARCHIVE” is a project in Yamanashi prefecture that distributes the design sources of shapes and patterns of fine goods that have been passed down in Yamanashi prefecture since the past, colors from nature, old tales and legends that have been passed down to the present, and written material that has existed in the region since ancient times through a digital format for industrial use. Please make use of these sources for product development, education and research, service development, etc.

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物語

Old Tale

#0321

姥塚

ソース場所:笛吹市御坂町井之上941 南照院


●ソース元 :・ 山梨県HP 「山梨の文化財ガイド」  https://www.pref.yamanashi.jp/gakujutu/bunkazaihogo/bunkazai_guide0001.html
       ・ ブランコの会 編集・発行(1985年)「みさかの民話」        
       ・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
       ・ 現地説明板
●画像撮影  : 2015年05月15日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 笛吹市御坂町の南照院にある姥塚は大型の円墳ですが、開口部の大石が半分開いたままのように位置しているため、大昔、山姥が大男と「明日の一番鶏が鳴くまでに」と時間を決めて、塚造り競争をして、もう後は入り口に蓋をするばかりとなった時、負けたら山姥に殺されると恐れた大男が一番鶏の鳴きまねをした。山姥は「しまった!夜明けだ!」と大石をそこに放り捨てたまま山に逃げ帰ってしまった。と言い伝えられている。

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姥塚
うばづか / 昭40年5月13日指定 / 笛吹市御坂町下井之上 / 南照院

甲府盆地東部にある古墳時代後期(6世紀後半頃)に築造されたと考えられる巨大な石室を持つ大形円墳。墳丘は直径40m、高さ10mで、横穴式石室は長さ17.54m、最大高さ4.2mと全国で十指に入る規模を持ち、山梨県では最大の規模を誇る。

山梨県HP 「山梨の文化財ガイド」 より
https://www.pref.yamanashi.jp/gakujutu/bunkazaihogo/bunkazai_guide0001.html
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姥塚
甲斐の国の右左ロ村といいますと、いまの中道町の右左ロのことです。むかしの右左ロは、山すその小さな村でした。
村のずっと山奥には、山姥が住んでいました。山姥は〝谷間の百合姫〟と呼ばれていました。ところが、そんな優しい名まえとは反対に、まるで山男のような大きな女だったのです。
長い髪をふり乱し、目をらんらんと輝かせて、ずしん、ずしんど歩きますと、小さな村の中がまるで地震のように揺れたといいます。そのうえ百合姫は、たいへんな力持ちで、いつも、なんとかして自分のカをためしてみたいものだと、そんなことばかり考えていました。
ある時、同じ東郡の井之上(いまの御坂町下井之上)に、これまたカの強い大男が住んでいるといううわさを聞いて、山姥はもうじっとしてはいられません。さっそく大男のところに、すっ飛んでいきました。
大男は、ちょうど木のかげで昼寝をしていたのですが、山姥の足音でびっくりして目をさましました。
「わたしとカくらべをしてくれないか」
山姥は、まるで男のようなロのききかたをしました。
「おお、いいとも」
大男は、いかにもたくましそうに答えました。しかし、ほんとうは少し怖くなってしまったのです。山姥は見るからにカがありそうだし、また山姥のうわさは大男もよく聞いていたからです。それに山姥に負けたとあっては、大男の名がすたれます。
「あす朝早く一番鶏が鳴くまでに、どちらが大きな塚をつくりあげるか。それが勝負だ」
と、山姥が言いました。
「おお、いいとも」
大男も答えました。しかし今度は、前よりもずっと弱々しい声になっていました。塚というのは、土を高く盛って築くお墓のことですから、もしこの勝負に負けてしまったら、それこそ一大事。大男はお墓の中に入れられてしまわないともかぎりません。
話が終わるか終わらないうちに、山姥は右左ロの方に向かってすっ飛んで帰りました。そしてすぐに大石をかつぎ、土を運び、穴を掘り、みるみるうちに塚を築いていきました。
その仕事ぷりの早いのなんのといったら、とても人間業とは思えません。玉のように吹き出し、川のように流れる汗もふこうとはせず、狂ったように土を盛り上げていきます。
大男も一生懸命に土を運びましたが、なかなか仕事がはかどりません。大男が塚を三分どおり(30パーセント)築きあげるうちに、山姥は五分どおり(50パーセント)。大男が五分どおり(5Oパーセント)築くうちには、山姥はもう八分どおり(80パーセント)も築きあげてしまいました。
このままでは、大男が負けてしまうのは決定的です。大男はもう気が気ではありません。夜はたちまちふけ、あっという間に東の空が明るくなってきました。山姥は必死で土を運び、夢中で大石をころがしています。山姥は山姥で、大男がいつ塚をつくりあげてしまうかと、大男の塚など見にいく余裕もありません。それをいいことに、大男は山姥の築いている塚の後ろに回ると、
「コケコッコー」
と、ひと声。大きな声で鶏の鳴くまねをしてみせました。
「しまった」
山姥は入ロの穴をふさぐ最後の大石をかついで、いま、まさにふたをしようとした瞬間でしたから、飛び上がって驚きました。やられたと思ったのです。大男に負けまいと、特別大きな塚をつくったばっかりに、間に合わなかったと思ったのです。
この塚の中に押し込められてはたいへん。山姥は大石を塚の入ロに立てかけたまま、あとも見ずに山奥へ逃げ帰りました。
それ以来、山姥の姿を見かけた村人は一人もありませんでしたし、塚の入ロには、いまでも大石が立てかけられたままになっています。この塚を、人呼んで「姥塚」というようになったどいいます。

ブランコの会 編集・発行(1985年)「みさかの民話」
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南照院の境内にある。昔右左口山に住んだ谷間姫は大力無双で、世に偉跡を残そうとして大石を集め、仲哀天皇の五年三月に五百三十八人を役して築造したのがこの塚だという。      (東八代郡誌)

この塚の窟の奥に聖徳太子が彫刻されたという聖観音及び薬師の木蔵が安置されているので、これを窟観音ともいい、昔山姥が自分の棲家にしようとして、大きな石を運んできた。八分通り出来上がり、中に大石を入れようとして入口までもって来た時に、夜が明けて鶏が鳴いたから、山姥は急いで山に帰ってしまった。その大石が今も入口に横たわっているために、窟の入口が二つに分かれている。その大石には、山姥が盛ったと言う指の跡が今も残っている由。      (松のしらべ方言伝説号)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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姥塚
・             昭和四〇年五月十三日
・             県指定文化財

約一六〇〇年前、この地方に住んでいた豪族の墓で東日本随一の横穴式古墳といわれています。 塚の高さ 一〇メートル、 塚の周囲 一五七メートル、 石室の間口 三メートル、 奥行 十五メートル、 天井の高さ 二、五〇メートル で奥の方はもっと広く高くなっています。
石室の奥には古くから聖観音像が祀られていますが、像は木彫 等身大で藤原時代の名作です。 毎年三月初午の日に祭典が行われています。
この塚は大昔、谷間の百合姫という力の強い山姥が、大男と競争して一晩のうちに造ったので姥塚といい、また聖徳太子が甲斐に入ったとき、この地で愛馬がたおれ、その馬を葬ったのがこの塚で、そのために御馬塚(おんばづか)というのだという伝説があります。現在、姥塚または御馬塚というのは、この辺り一帯の地名となっています。

、             山梨県教育委員会
、             笛吹市教育委員会
、             慈眼山  南照院   (現地説明板より)

このデザインソースに関連する場所

笛吹市御坂町井之上941 南照院

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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。