0366│佐久神社

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ソース場所:甲府市下向山町892 佐久神社

●ソース元 :・ 現地 由来書より
●画像撮影  : 2015年11月18日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

太古の時代、甲斐の中央部が一面の湖だったとき、佐久の神が山巌を蹴り裂きその湖水を流し、甲府盆地を作ったという伝説がある。この神を祀った神社。

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佐久神社の由来(略記)
祭神 向山土本毘古王は彦火々出見尊の後裔にて、日向 の国高屋御殿にて御誕生せられ日向土本毘古王と号せられ た。長じて第二代綏靖天皇の大臣となる。後に甲斐の国造 に任命され、臣佐々直武、長田足、円後辨尼、其の他衆多 の臣及千人の人夫を引き連れ、甲斐に御入国せられる。 (BC五六一年)其の頃甲斐の中央部は一面の湖であり、こ の湖水を疏導する為、土地の豪族苗敷山に住める六度仙人 (去来王子)姥口山に住める山祇右左辨羅などの協力を得 て、南方山麓鰍沢禹の瀬の開削により、水を今の富士川に 落し、多くの平土を得、住民安住の地を確保した。其の功 績は偉大であり、甲斐の大開祖として崇められた(工事 着手BC五五四年、三ヶ年後完成)。王は第四代懿徳天皇、 四年八月十四日薨去せられ(BC四七二年)大宮山(古宮の 地)に奉葬す。後に雄略天皇二年(AD四五八年)土仏築山 に改葬せられる。今の天神山古墳之なり。崇神天皇八年、 (BC九〇年)二月三日甲斐国大開祖向山土本毘古王を祀る為、 国祭を以って宮殿が造営せられ、佐久大明神と号せられる。 (大宮山古宮の地)。同年三月三日正一位を賜り、正一位 佐久大明神となる。神名については、旧記に、佐久大明神 の他に大宮大明神、向山大明神、蹴裂大明神、弓手力雄神、 又手力雄神等種々見ゆるが、手力雄神に因んだものは、 王生前に手力雄神を崇敬し、常に心で祈願して居たと言う 関係と思われる。延喜式の撰文に見える神名は佐久の神、 蹋霹神、文化十一年(AD一八一五年)の甲斐国誌は、神名 手刀雄神としてあるが、之は誤りである。社殿については 年代不詳であるが、当初の古宮の地より社後の山上御殿に 遷座、そして天文十三年領主向山出雲守が社殿を造営、 現在の地に遷座せられる(AD一五四五年)。社後の山上御 殿の頃、大宮大明神と号されたもので、世尊寺三位の書と 言われた極めて貴品の高い神額が保存されている。又延喜 式に列したのも此頃である。(AD九二七年)本殿は嘉永三 年起工、同六年竣工(AD一七一九年)で改築されたもので 中道町指定の文化財である。延喜式神名帳所載については、 大日本史神祇誌に曰く「太古海水国内に泛濫し佐久神乃ち 山巌を蹴り裂き以って之を疏導し始めて平土を得たり故に 之を祀りて蹋霹神と曰ふ。今上向山村佐久の地にあり大宮 明神と言う

(原文は漢文)
神社祭日

二月十八日 祈年祭
三月二十一日 例大祭(春分の日)
十一月二十三日 勤労感謝祭

昭和六十三年三月吉日
-境内案内より-

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甲府市下向山町892 佐久神社
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