0379│弁慶石と乳神様

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ソース場所:都留市小形山665 富春寺

●ソース元: ・山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
       ・内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」   なまよみ出版
●画像撮影: 2015年07月13日
●データ公開: 2016年06月24日
●提供データ: テキストデータ、JPEG
●データ利用: なし
●その他: 利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

弁慶石と乳神様
都留市小形山というところの高川山(八百七十六メートル)の項上に、弁慶石という、およそ二千貫もありそうな大きな石があり、その石はむかし弁慶が大月の岩殿山から投げたものといわれています。
大石には弁慶が掴んだ指のあとの窪みもあり、世にもめずらしい石です。ここからの四方の眺めはすばらしいもので、鳥沢、富士吉田方面が良く見えます。
弁慶石の伝説はもうひとつあります。弁慶が投げた石が小形山地内の富春寺境内にある金山観音の庭先(現在の城之内家の庭)に落ち、その家の人が邪魔で困るので石屋を頼んで割ってもらおうとしたが、突然石が唸り出し、その声は泣くような、うめくような何とも気味悪いひびきであり唸り声はいつまでもとまらないので、近所の人たちも気味悪く思い、そこで富春寺の和尚さんに頼んでありがたいお経を上げてもらったところ、唸りはぴたりと止まり、人々は安心したということです。
石割りを頼まれた石屋さんはその後、間もなく亡くなったという伝えもあります。また金山観音堂の下の十王堂の側に碑があって、禅休禅師という方の墓所があり、昔から乳神様といわれています。この神様に母乳の出ない婦人がお詣りするとお乳が出るようになり、お乳がいらなくなって次の子が産まれるまで止めてください、とお願いすると、ふしぎに止まるといわれています。近郷近在からお詣りの人たちは、くだものやお菓子などをおそなえして、そのあと、子供たちにふるまう習慣があります。
この金山観音は都内三十三番観音霊場の第三十番の札所にあたり、如意輪観音菩薩をまつり、ご詠歌に「金山にのぼるこの身のうれしさに弘誓の船に乗る心地せよ」と歌われています。
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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弁慶石

むかしむかし、平家追討に数々の手柄をたてた侍大将に源判官義経という人があったが、どういうわけか兄である源氏の総大将源頼朝に疎まれて義経追討ということとなった。義経は、僅かばかりの家来とともに京都から奥州へ逃れる途次、大月を通過した。
全ての官道は守護地頭のきびしい見張りに押へられて、山から山を分けての油だんも隙もみせれぬ逃避行であったが、どこでどうさとられたか街道の様子になんとなくただならぬ気配を感じとった。
あたりの様子をうかがうようにと、家来の武蔵坊弁慶を岩殿山(大月市)に登らせた。岩殿山からは大月一帯はもちろん、小形山(都留市)や吉田の方まで見渡せた。弁慶がよく見ると頼朝の発した義経追討の軍勢が、旗をなびかせながら富士街道を下ってくるのであった。
強力自漫の弁慶は「よし、ここで追手のど肝を抜いてやろう」と思い、その昔、岩殿の鬼と九鬼(都留市)の鬼が石の投げ比べをしたという石を両手に高々と持ち上げ、高川山(都留市)へ向けて投げた。風を切るうなり音につづいて石の落ちる瞬間のすさまじい地響きで、軍勢も村人も何事が起きたかと音のした方を見ると、高川山の中腹の樹が何本も折れていて、大きな石が座っているのが見えた。
続いてまた、風のうなる音がして、岩殿の方から大石が飛んできた。今度は高川山のふもと、小形山の金山というところにある農家の庭先に落ちた。

弁慶は天下無双の怪力坊主だと聞いてはいたが、あんなのがいてはとてもかなわぬと、軍勢が進むのをためらっているうちに、義経主従は山越えに小菅、丹波を経て、上州から奥州へと逃れていった。

困ったのは大石の落ちた家であった。割って片付けようとしたが、作業を始めようとすると、石が低くうめくような気味の悪い音を立ててうなり出し一向に止まらないのである。鬼の顔にも見える石なので、これ以上動かしたり割ったりするとたたりでもあっては困ると工事をすぐやめ、富春寺住職を頼んで経をあげてもらった。
住職は「平家を追討しながら、兄頼朝に追われる義経の無念さか、さもなければ岩殿の鬼の魂が残っているかもしれぬ。どれ、怨霊を鎮めて進ぜよう」と言い、金山の頂に自在に変化して衆生の苦悩を救うという観音をしつらえ、しばらく観無量寿経を読んだあと、観音力を借りて「汝元来岩殿の石、われは是仏なり、うなりをやめい」と大喝一声すると、うなりはピタリとやんだ。

その後、金山に観音堂がつくられ、郡内三十番札所となり、巡礼の姿が見られるようになった。石は弁慶石と名付けられ、弁慶のつかんだという指のあとが残されている、この石は今も金山観音の下にあって物語りを伝えている。

内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」   なまよみ出版
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乳神さま
小形山富春寺境内に観音堂や十王堂があって、お堂にはそれぞれ修業の僧が住んでいた。
僧は、観音参りや十王詣におとずれる人があると、一緒に経を読んで礼拝したり、説法をしたりした。
特に十王堂の僧の説く地獄極楽の話は真にせまって、その話のこわさに身の毛のよだっ思いをしながらも感銘深く聞くのであった。今日は血の川の話、あくる日は、針地獄の話、次の日は焦熱地獄の話、その次の日は閻魔大王の話、罪の秤の話、脱衣婆の話、八裂きの話、修羅、畜生、餓鬼、六道、十三仏、初七日、お盆・・・。地獄の話だけでなくお仏様や、仏教の様々な行事に至るまでいろいろなお話をして下さるので、村人達はいつしか僧をお上人様と呼ぶようになっていた。
このお上人を慕い、観音詣十王詣を欠かさない女がいた。女は乳の出が悪かった。思い余った女は、お上人に訴えた。
「お上人様、悪いことをすると、死後地獄の苦しみを受けることを知りました。いま私は乳のみ児をかかえながら乳が出ません。前世で私が悪いことでもしたその因果で、いま生地獄の苦しみが与えられているのでしょうか。乳を求めて泣く子に乳を与えられない、この苦しみを助けていただく方法はないでしょうか。お上人様のお力で、おすくいいただけないでしょうか。」
すると、お上人さんは、「私も僧として何らかの形で人を救うことができればと悩んでいたところだ」といい、「お釈迦様やお薬師様あるいは観音様のようなわけには参らぬにしても仏に仕える身、願をかけて行をすれば一つくらいは願いごとのかなえる仏になれるやも知れません」と言って直ちに願かけの行に入られた。
二十日間の断食行が終ると、沐浴日に半時ずつ二度の水ごりと写経の行に入り、体力がもどるのを待って五日間の不眠の行に入り、不眠の行が終わるとまた水垢離と写経の行に入り、体力が回復すると三十日間の木喰の行のかたわらの写経の行、・・・とすさましいばかりの行を続けられ、その間一心に読経し、知拳印を結んでは大声を発して願をかけていた。あまりの真剣さに村人たちも参籠し一 緒に手を合せ祈るようになった。願かけをお願いした乳の出ぬ女は、自分のためにこんなにまで苦しい行をなされ願かけをされているのをみて耐え切れずに「もう止めて下さい」と何度かお願いしたが行を止めなかった。
僧は六百巻の大般若心経の写経が終るのを待つかのように写経を終ると同時に端座したまま机に伏して息を引きとられた。村人は手厚くほうむった。乳の出が悪くて願かけを願った女は自分のために荒行をして亡くなられた坊様に申し訳なくて手を合せると、不思議や不思議、手を合わせた腕に押されて乳が着物を通して滲み出たのである。

十王堂の横に三基の牟坊塔(むぼうとう)がある。中央の一塔が乳神様として伝えられいまも詣でる人がある。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」  なまよみ出版
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