0543│竜王水

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ソース場所:甲斐市竜王629 慈照寺

●ソース元 :・ 甲斐市教育委員会  
       ・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」        
       ・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影  : 2014年09月06日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

◎甲斐市指定有形文化財(天然記念物)
竜王水
指定年月日  平成二年十二月五日
竜王水は慈照寺境内に湧き出す湧泉で、「竜王」の地名の由来ともいわれています。
この水源地は、東西2.1メートル、南北1.75メートル、深さ約0.5メートルの規模で、赤坂台地と呼ばれる茅が岳火砕流の末端部に出現した湧水です。茅が岳南麓は自然湧水の極めて少ない地域であり、古くから地域の重要な水源として利用され、かつての住民の生活用水の記録として貴重なものであります。遊水地の現状は、コンクリートの枠が作られ小屋により保護されています。
伝承では、信玄堤の北方、高台の下に通称「竜王潭」という川の水深が深い場所があり、そこに悪竜がいました。慈照寺の開祖、真翁宗見禅師は悪竜に善を説き更正させたところ、次の晩、竜王潭の主が白髪の老翁の姿になって現れ、悪竜を更正させたことにれいをのべました。その翌朝、禅師が以前から願っていた清水が本堂の前庭から湧き出しており、それ以来、この湧水を「竜王水」と呼ぶようになった。といわれています。
平成二十六年二月一日
甲斐市教育委員会
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竜王水の話
とおいむかしのことだ。
秋ぐちになると、きまって大雨がふり、たつみ(南東から大風)がふいた。それが、三日もつづくと、篠原の荘(今の竜王町)の人々は、
「ほれ、また竜王さまがあばれなさる。」
と、いって、赤坂の小高い丘へにげたものだ。
そんなときは、釜無川に洪水がおこり、せっかくみのった田んぼや畑を、どろの海にうずめてしまったという。

ずうっとずうっとむかし、まだ甲府盆地がひろい沼だったころ、竜王は、そこにすんでおったのだそうだ。
ところが、行基というえらいお坊さんが、鰍沢ちかくの兎の瀬というところの山をきりひらいて、盆地の水を富士川に流してしまった。
すむところのなくなった竜王は、しかたなく、釜無川の高岩の下のせまいふちにうつっていったのだと。
竜王にしてみれば、おもしろくなかったにいちがいない。
だから、ときどき大あばれしては、洪水をおこして、うっぷんをはらしていたのだろう。

けれども、それで難儀をするのは村の人たちだ。
だからといって、あいてが竜王では、どうすることもできん。
村の人たちは、竜王のいかりくるうのを、しずめる手だてはないものかと、そうだんをつづけたが、うまい知恵もうかんでこない。
すると、
「上曽根(今の中道町)の竜華院ちゅう寺の坊さんは、とてもえらい坊さんだそうだ。ひとつ竜王をしずめるお経をあげてもらったらどうずら。」
と、だれかがいいだした。
「そんなことぐれえで、あの竜王さまが、あばれるのをやめてくれるずらか。」
というものもいたが、とにかくおねがいしてみようということになった。

そのえらい坊さんというのは、宗見禅師というかたで、村の人たちがおねがいにいくと、
「およばずながら、力をおかししよう。」
と、心よくききいれて、さっそく、篠原の荘にこられた。
そして、高岩のちかくの古寺にこもって、昼も夜も、竜王のあれすさんだ心をやわらげようと、経をとなえつづけた。

ところが、また、秋ぐちになると、竜王があばれだした。
宗見禅師が、大雨とつよい風の中を、竜王がすむといわれている竜王潭にちかづいてみると、人間のなん十ばいもある竜がまっかな口をあけて、あばれていた。
禅師に気づくと、ひとのみにしようと、おそいかかってきた。
宗見禅師は、すこしもあわてず、手にしていたとうとい護符を、竜王の口めがけて、なげるようにしてあたえた。
すると、どうだろう。あれほどあばれ、禅師をひとのみにしようとした竜王は、たちまち、ふかいふちの底に身をかくしてしまったそうだ。

それから竜王もすっかりおとなしくなったので、村の人たちはあんしんして、田や畑のしごとにせいをだすことができるようになったという。
村の人たちは、これも宗見禅師のおかげだと、古寺あたにりっぱな寺をたてて、禅師におくった。寺は慈照寺と名づけられた。

さて、寺がたってしばらくしたある夜、禅師がねむっているまくらもとに、うつくしい姫があらわれた。
そして、
「わたしは、竜王潭にすんでいる竜王です。禅師さまからいただいた護符によって、いままでじぶんのしてきたことのおそろしさがわかりました。
いまは、心もからだもやすらぎ、しあわせなまい日をおくることができようになりました。このお礼を、ぜひさせていただきたいのですが・・・・・・。」
と、いったそうな。そこで禅師は。
「それは、たいそうよい心がけ。では、この村には、よいのみ水がすくなくてこまっている。きれいな水がでるようにしてくれるとありがたい。」
というと、姫は、
「おっしゃるとおりにいたしましょう。」
といって、すがたをけした。
そこで禅師は目がさめた。
ふしぎなゆめを見たものよ、とおもいながら、朝はやく、禅師が庭にでてみると、どうだろう。
本堂のまえのふとい松の木のちかくに、きれいな水がこんこんとわきでているではないか。
宗見禅師は、すぐこのことを村の人たちに知らせ、ともどもよろこんだ。
この水はかれることなく、村の人たちや寺ののみ水となった。
それからもう、なん百年もたつが慈照寺の庭には、きよらかな水が<竜王水>とよばれ、いまもわきつづけている。 <再話・武田三平>

山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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龍王水
慈照寺の開祖宗見真翁禅師が、或る日龍王湍 即ち今の信玄堤に至り、その深淵に棲む悪龍を済度された。翌夜白髪の異人が来て礼を述べ、自分は竜王湍の主だが,昨日師の徳戒を蒙り解脱するを得た。如何なる御礼をしたらよいかといった。禅師が、この地は水便が悪いから何とかしてくれというと、異人は承諾して去ったが、果たして明日から堂前に清水が湧き出した。異人が杖を立てた跡だから「卓杖水」ともいい、又は「龍王水」とも称えて今に存している。昔は女が汲むと濁るといって、女人の汲み取りを禁じていた。この井水は六尺四方、深さ三尺だが、少人数でも余るということはなく、百人千人でも足らないということはないという。 (中巨摩郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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