0545│市神福地蔵尊

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ソース場所:南アルプス市十日市場1843 安養寺

●ソース元 :・ 現地説明板     
       ・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」     
●画像撮影  : 2014年09月18日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

「十日市」由来記    安養寺の由来記より
市神地蔵尊は、今から七四〇年前の文暦元年(一二三四年)旧一月十日紀州高野山より迎えた名僧覚応上人が神のお告げによって尊像を刻み奉祀したと伝えられ、それから里人は日夜地蔵尊を信仰するようになった。この年田植え時、里の百姓が馬が暴れて困っていると、どこから来たのか十五、六の童子が突然現れ農馬のくつわを取ると、不思議にも馬はしずまり田植え仕事が難なくできたという。その時、地蔵尊の御足に泥土がついていたことから地蔵尊が童子に姿をかえ民の難を救ったと口から口へと伝わり、いよいよ里人の信仰を深めそれ以来、鼻採地蔵尊と称し毎年旧暦の一月十日を祭日とし今日に及んでいる。
十日市の始まりは、はっきりしないがこの祭日を中心に江戸時代のはじめごろすでに田方畑方の交換市がこの地で開かれていたと地方の郷士、野呂瀬直自の由来記、寛永十七年(1640年)に記されている。
昭和四十九年一月

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市神福地蔵尊
今から七百年くらいまえのことです。紀州高野山から迎えた覚応大上人が、八田の里の南端(今の若草町十日市場)に寺を建立しました。ある夜のこと、上人はお地蔵さんの夢を見ました。これは何かのお告げだろうと夢に現れた地蔵菩薩の御尊像を刻み、おまつりしました。
その年のこと、里のお百姓さんが稲田を耕そうと農馬を連れて田んぼへやって来ました。どういうわけかいつもおとなしい馬が大暴れして手綱を取らそうとしませんでした。
お百姓さんは大そう困って思案にくれていると、年の頃十五、六の童子がやって来て馬の手綱を取るとなんと不思議なことに馬はおとなしくなり、お百姓さんは田んぼをすくことができました。
やがて、すっかり耕やし終ったので童子に昼ご飯でもご馳走しようとあたりを見わたしましたが、その童子の姿はどこにも見当たりませんでした。
日がとっぷり暮れて家に帰る途中、お百姓さんはいつものように地蔵堂の前で手を合わせてお祈りをしました。ふと気づくと地蔵尊のおみ足は水にぬれ泥土までついているではありませんか。お百姓さんは驚き、あわてて寺へかけつけ、続経していた上人にそのことを告げました。上人は急いで地蔵尊の前にかけ寄りいっしょにお経をあげますと、
「私は、農家や商人に利益を与え、また安産と子育ての守り神である。よって寺の名は安養寺と称するがよかろう。私の名は鼻採地蔵尊ともうす。」と尊いお声が聞こえてきました。
お百姓さんが困っている時、助けてくれた童子はこのお地蔵様だったのです。
このことがあった翌年から、旧歴正月十日から三日間を寺の祭日として多くの里人がお参りにくるようになりました。お参りすると願いがかなったということが遠くの人々にまで伝えられ、次第に参詣人も多くなりいつしか大きな市がたつようになりました。正月十日からのお祭りなので、「十日市」とよび、その里を「十日市場」というようになりました。
今、十日市場の人々は、このお地蔵様を「福地蔵さま」とも呼び、安養寺を「市神さん」 といっています。
現在、十日市は二月十日、十一日の二日間開かれ、日本有数の大市としてその名が知られています。     (若草町)

山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」

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