0555│呼ばわり谷

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ソース場所:大月市賑岡町浅利 稚児落とし

●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版      
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

呼ばわり谷
戦国の世、天下統一をはかる織田信長は、邪魔者武田勝頼を攻め滅ぼそうと、大軍を率いて甲斐の国へ押し寄せた。天正十年春まだ浅い三月であった。
初戦の抵抗にあえなく敗れると、怒とうの進撃を許し、勝頼軍勢はほとんど戦わずして、天目山のふもと田野に散った。

甲斐半国の領主小山田信茂は、勝頼に離反することで、小山田の家系の存続と自国の領土の安泰を図ってはみたが、信長の誘いに応じて甲府へ赴いたところでいままで勝頼にくみしていた自分を、信長が許すか許さないかは五分と五分と判断していた。
負け戦となるとあわれなものである。笹子峠まで敵が押し寄せ、退却して岩殿城にこもったと分かると、長年の従臣もほとんど逃げて、関東三堅城を誇る岩殿城も、守る家来がいなくなるというありさまとなった。
信茂は意を決し、自分は信長に応じて甲府へ出てみるが、自分が殺されるという万一にそなえて、家系を絶やしてはならぬという武人の作法に従い、時節の到来を待って小山田家の再興を図ろうと、家臣小幡弥三郎を呼び、側室とまだ乳飲み子であるわが子とを託して、夜陰にまぎれて城の裏手から逃れさせた。
落ち延びようとする主君の子を捕えて、信長へ差し出せば、小山田家の家来であっても、命は助けられようし、ほうびにもありつけるかもしれないと思う輩があっても不思議はないと思うと、領内ではあっても、物音一つにも気を付けなければならぬ逃避行であった。
だが話をしないわけにはいかない。まして夜陰である。おたがいの人影が頼りの逃亡であるが、人影が見えなくなるときもあって、所在を確認するためにそっと話しかけた。ところが、三方そそり立つがけに囲まれ、里人から『呼ばわり谷』と名付けられた山中深い沢であったので、話し声がこだまし、こだまがこだまを呼んで、がやがやと大勢の人がいる声となって響いた。折あしく幼君までが泣き出し、すっかりおびえた主従は、声が自分たちの声の反響音だと気づく判断力を失っていた。
追手に固まれたと錯覚した夫人は、残忍で知られた信長が降るならともかくも、逃げようとするわれらを助けるはずもなし、助けられたとしても、捕われて辱めを受けるよりは、いさぎよく死ぬのが武人の妻の誉れと意を決し、幼君を淵へ落とし、続いて夫人も自ら命を絶った。
賑岡の「呼ばわり谷」を「稚児落とし」とも呼ぶ由縁である。

内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版

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