0565│法寿寺の八幡堂伝説

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ソース場所:南巨摩郡富士川町小林875 法寿寺

●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」 
●画像撮影  : 2015年10月23日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

法寿寺の八幡堂伝説

竹重というところに法寿寺というお寺があって、いまは日蓮宗だがもとは真言宗で、舂米にある明王寺の別院だったということです。
そのお寺の境内に八幡堂というお堂があって、これは大井源三郎信豊公というえらい人の、霊夢のお告げで祀られたということです。
信豊公という人は、大井信繁公の子どもで、信繁公というのは、あの信玄公の弟なのです。
ある時、信豊公が平林の大垈というところへ行った時道に迷ってしまい、そこで村の人に[里に下るのにはどの道を行けばよいか」と聞きますと「ああ、里に下るじゃああっちへ行けばいいだよ」と、どうしたわけか村の人は反対の道を教えてしまったのです。
信豊公は教えられたとおりの道を行ったところ、だんだん山の中に深く入ってしまってもう前にも進めなく、うしろへも戻れないようになってしまいました。くたくたにへたばっちまったところへ、ふだんから信豊公にはむかう気持ちをもっていた武士が来て、信豊公を殺してしまいました。その時信豊公はかわいそうにまだ十六歳だったそうです。
そのころ小林地区の地頭は小林対馬守という人で、武田家とは遠い親類すじに当っていたらしいが、信豊公が思いがけないわざわいで死んだことを知って哀れに思ったのでしょうか、その亡きがらをこの法寿寺にほうむって墓を建て、冥福を祈ったということです。
その後あるときの九月二十五日の夜に、対馬守の夢の中に信豊公が現われて「あの寺に八幡堂を建てて祀るように」というお告げがあったそうです。それでさっそく対馬守は八幡堂を建てて祀ったのが、いまの八幡堂だといいます。
信豊公が死んだのが永禄十年九月二十五日で、対馬守の夢に出てきたのも九月の二十五日ですから、これも何かの因縁というものでしょう。(増穂町)

山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」

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南巨摩郡富士川町小林875
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