


物語
Old Tale
#1170
瓔珞つつじ
ソース場所:南巨摩郡南部町上佐野
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
・ 土橋里木(1975年)全國昔話資料集成16甲州昔話集 岩崎美術社
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年01月05日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 昔々、京の都から一人の美しい皇女が富士のすそ野までやってきました。占い師に「あなたの婿様がいる」と言われ来たとも、自分の病気を治すために行くように夢のお告げがあったとも言われています。そこで、皇女は貧しい炭焼きの青年に巡り合い、一緒に暮らすことになりました。二人は仲良く暮らしましたが、ある日、皇女は思い病で倒れてしまいます。彼女は「自分が死んだら、都から被ってきた瓔珞飾りのついた冠を、都が見える高い山に埋めてほしい」と頼み、亡くなりました。炭焼きは皇女の頼みを聞き、天子が岳の頂上に冠を埋めます。やがてその場所にちょっと変わった花をつけるツツジが育ちました。そのツツジは、皇女の冠の瓔珞飾りのような花だったので、「瓔珞ツツジ」と呼ばれるようになりました。
瓔珞つつじと天子岳
昔々、富士の裾野に松五郎という人が住んでいて、毎日炭を焼くのが仕事でした。
松五郎の炭を焼く煙は、風のない日は富士山より高く見えるほどに立ちのぼって、それは遠い京の都からも眺められたといいます。そこで都の人びとはこれを見て、なんと不思議な煙だろうといっていました。
天子様も不思議に思って、占い師に占ってもらったところ「あれは皇女様の婿様になられる方が立てている煙だ」といいました。
そこで皇女様はよろこんで、はるばるその不思議な煙を目当てに、富士の裾野までやってきて、やっとのことでこの地にたどりつきました。美男子で気品のある松五郎に逢った皇女様は一目で気に入り、間もなく二人はめでたく契りを結びました。以来二人は仲睦まじく数十年をこの地で暮しました。
ところが、ふとしたことから皇女様は重い病にかかり、松五郎の命がけの看病のかいもなく、日増しに悪くなるばかりでした。
ある日のこと、皇女様は松五郎を自分の枕元に呼んで「もし私か死んだら、この冠を都の見える山の頂に埋めてくれるように」と、涙ながらに頼みました。それから七日目、ついに皇女様は亡くなってしまいました。悲しみにくれた松五郎は、そのりっぱな瓔珞の冠を、遺言のとおり高い山に埋めました。その山が今の天子岳です。
その翌年の春、不思議なことに冠を埋めたところにつつじが生えて、数年後には美しい花を咲かせましたが、その花が皇女様の瓔珞に似ているので、これを瓔珞つつじと呼ぶようになったと言い伝えられました。
ところがまたひとつ不思議なことが起こりました。それは、このつつじの枝を折ると、必ず雨が降るということです。この附近の人たちは、日照り続きで困っているときは、天子岳に登って瓔珞つつじを折って雨を降らし、農作物が枯れるのを救ったといわれ、それは最近まで行われていたといいます。
空高くそびえている天子岳の頂上には、皇女様を祀った祠があり、左右の大つつじは、今もなお美しい花を咲かせています。 (南部町)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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炭焼長者
昔、京都の天子様のお姫様が、正月二日の初夢に、奥山から小判がなりさがった所を見た。明日の朝目が覚めてからお姫様は、昨夜夢に見た山奥を尋ねてだんだん行くうちに、とうとう富士の麓の猪ノ頭までやって来た。猪ノ頭の山奥へはいって行くと炭焼小屋が一つあって、真っ黒い顔をした炭焼藤二郎が、その爐に四つぱいりしてあたっていた。小屋の入り口に吊ってある筵をまくってお姫様が、「今夜ァ俺オ泊めてくりょオ」と言うと、藤二郎はびっくりして、「お前さんのような立派の人を、泊めたくても米もない、布団もない」と言った。
「そんじゃア、これで買って来てくりょオ」と言ってお姫様が小判を一つ取出いてやると、藤二郎はそれを持って下の村まで買いに行ったが、その途中に鶴が遊んでいたから、藤二郎は持っていた小判を鶴にぶっつけて、手ぶらで炭焼小屋へ帰ってきた。待ちかねていたお姫様が「どうだえ、米オ買ってきたかえ」と聞くと、藤二郎は「いんにゃ(否)米ア買っちゃア来ぬ。お前から預かったものは鶴にぶっつけて来とオ」と答えた。お姫様は驚いて「まァもったいない。あれァ小判と言って、何でも物ン買えるお宝どオに、やたら鶴なんかにぶっつけて来ちゃア困る」と言うと、藤二郎が「あれン小判ちうものか、あんなもんじゃア山イ行けば、俺ン炭竈のまわりに浚い寄せるほどあらア」と言った。お姫様は「そんじゃア明日ァ、俺オもそこイ連れて行ってくりょオ」と言って、明日の朝藤二郎といっしょに山の炭竈の所へいった。
見るとなるほど炭竈のまわりには小判小粒がいっぱいある。お姫様は藤二郎と二人で、その小判小粒を箕へ浚っては俵に詰め、箕へ浚っては俵に詰めして、その俵をまた馬につけて、しゃんしゃんと幾駄も幾駄も運んだ。そうして小判を掘り出しているうちに、炭竈のうちから福槌が一つ出てきてそれをも拾ったが、それは叩けば何でも望みどおりのものが出ると言うお宝物である。あんまり一生懸命に働いて、お姫様は喉が渇いてきたから、「俺ァ水ゥのみたいけれ、この辺に水アないか」と聞くと、藤二郎が「この奥にいつも俺ン飲む水がある」と教いてくれた。
教わったとおりに炭竈の置くの岩の所へ行くと、キレイな清水が涌いている。お姫様がその水を一口すくって飲んでみると、何たらそれは諸白の酒に飲める。お姫様は驚いて藤二郎をも呼ばァって来て、その酒を樽に詰めて、やはり馬につけて幾駄も積み出いた。そうして小判の俵を積み重ね、酒も売り出してエライ長者になったが、どうも家が狭くていけぬから、お宝物の福槌を取出いて「家出ろ、家出ろ」と言って叩くと、たちまちどこの御殿かと思うような立派な家が出て来た。今度はお蔵が欲しいと思って「コメクラ出ろ、コメクラ出ろ」といって福槌を叩くと、米のお蔵が出る代わりに、小さい盲がいっぱい出て来た。それで次には、「お米のお蔵出ろ、お米のお蔵出ろ」と言って福槌を叩くと、今度は本当に立派な米蔵が出て来た。けれども小盲の始末には困って、仕方がないから池を掘り、その池の中へ小盲をみんな入れてしまった。
そうして藤二郎夫婦は大した長者になって一生安楽に暮らしたが、やがてお姫様が死ぬと、猪ノ頭の奥の天子ヶ岳の尾根にその死骸を葬った。そこへ石の祠を建てて姫の墓とし、姫が京都から持ってきた瓔珞をその傍へ置くと、それが一株の瓔珞つつじとなって今も繁っているが、その枝を折れば暴風雨が吹いて荒れるという。また猪ノ頭には今も長者屋敷の跡があり、小盲を入れた池も残っているが、今でもその池にはめっきイ(片目)の鰻がたくさんいて、岸の柳の木にのし上がるということである。
(昭和十七年三月十日 土橋よしの婆様[六十八歳])
土橋里木(1975年)全國昔話資料集成16甲州昔話集 岩崎美術社
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