物語
Old Tale
#0392
土録の蛭
ソース場所:南巨摩郡富士川町小室土録
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
・ 土橋里木(昭和51年)「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店を参考にしました。
●画像撮影 : 2015年12月03日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
【概要】 日蓮伝説。「土録のヒル」→「法論石(アーカイブNo.336)」→「逆さ銀杏(アーカイブNo.386)」と続くお話。 その昔、富士川町小室の辺りは真言宗の勢力が強かった。ここへ日蓮が訪れ蛭に困っている人々を法力で助けた(アーカイブ0392「土録の蛭」)。これにより日蓮が、人々の心をつかんだ事に怒った真言宗の高僧(恵朝とも善智とも伝わる)は、日蓮と仏法を論議し打ち負かそうとしたが、日蓮に負けてしまった(アーカイブ0336「法論石」)。ここで負けた事をうらみ彼は日蓮の毒殺を企てたが、是もまた失敗してついに日蓮の弟子となった(アーカイブ0386「逆さ銀杏」)。
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文永の頃、真言修験者 肥前阿闍利 恵朝 なるもの、東三十三カ国の頭領として小室山を営み、勢力があった。
文永十一年 日蓮(五十三歳)身延山へ上る途次この地を過ぎ、小室山の登り口 土録(ドロク)に来られた。路傍に左右一丈二尺、前後六尺、高さ七尺の大石あり、その上に坐して眺めると、丁度五月二十八日田植えの最中で、早乙女が手足に喰い入る蛭を殺すのを見て、日蓮は「一匹の虫を殺しても殺生の罪になる。余がこの虫害を除いてやろう」と祈り呪詛して蛭が人血を吸うことを封じた。目前にこの法徳を見た男女は日蓮を合掌礼拝して帰依渇仰した。
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会 より抜粋
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恵朝これを聞いて大いに怒り、日蓮と仏法を論議しようとそこへ出てきた。ここでの法論合戦で恵朝は日蓮の法力が勝ることを認め、日蓮の弟子となり名を日傳と改めた、小室山も日蓮宗の寺に改宗した。
アーカイブ 0336 法論石 のきっかけになったお話しである。
別の資料によると、日傳と改める前の名を 善智 としている資料も有る。 (アーカイブ 0386 逆さ銀杏 参照。)
阿闍利となるまで修行した僧が改宗するというのは、なまなかなことではなく、「逆さ銀杏」の話によると、法論で負けた後、それを恨んで小室山の阿闍利(後に日傳を名乗る)は、日蓮を上沢寺に招き毒殺を企てる。法論の負けだけでなく、この企てまで失敗し我に返り、弟子となった。
僧侶なる人たちは、感情の揺らぎをおさえ、というようなイメージがあるが、宗教が今より身近にあり、力も強かった時代の僧侶達は、こんなにもドラマチックに生きていたようです。そういえば峡東地域でも、地域の人たちを巻き込んでの寺同士の戦闘の話もありましたっけ。これはまた別のお話で。
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。