物語
Old Tale
#0303
るすが岩
ソース場所:富士河口湖町大石 桑崎 留守が岩
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 2015年11月04日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 富士河口湖町大石にある「るすが岩」には悲しい恋の言い伝えがある。
るすが岩 昔、大石で大火が出て、たくさんの普請が必要になり、あちこちからたくさんの大工がやって来た。その中に河口湖の対岸の小海村からやってきた幸右衛門と言う大工がいた。大石村には気立ての優しい美しい娘おるすがいた。おるすは、大工たちにお茶の世話などしているうちに幸右衛門と恋仲になった。しかし、家々の普請も次第に終わり、大工たちも次々に大石を離れるようになった。幸右衛門も大石を離れる日が来た。おるすは、幸右衛門の村までたらい舟に乗り訪ねて行っても良いか?と聞き、幸右衛門もおるすの好意を嬉しく思った。
しかし、おるすは幸右衛門の思った以上に情が深く、雨が降ろうが、風が吹こうが毎晩たらい舟に乗り、幸右衛門の元へ通って来た。嬉しかったはずのおるすの好意がいつしか重く恐怖にさえ感じてきた。嵐の夜、「まさかこの天気では来ないだろう(来てくれないでくれ)」と幸右衛門は思い、おるすのたらい舟が夜の湖の目印にしてきた明神さんのお灯明を消した。翌朝、おるすの水死体がおるすが岩にうちあげられた。
気立ての優しい美しい娘が、恋に盲目になり、その情の深さゆえに恋人に死に追いやられてしまったという昔話が県内にはいくつかある。おるすの話。恋人の部落がよそ者との婚姻を禁じていた「琴路の悲恋」(アーカイブスno.0399)。僧侶との恋に熱くなりすぎた「おとらのガレ」。戦国時代に布教に来た宣教師に、自由な恋愛事情を驚かれた日本ではありますが、なんでも自由だったわけでもなく、部落の掟、身分の決まりもあった。また、今も昔も、男性も女性も、恋愛は頑張ればかなうものではなく、相手の気持ちを大切にしなければね。おるすさんは自分の気持ちだけに突き進んでしまった。こんな事を恋愛や人の心に通じた昔の人達が語り伝えた物語。
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るすが岩
昔、河口湖の北岸大石村に、おるすという気立ての優しい美しい娘がいました。
ある時、村の大半を焼くという火事があり、家を建て直すためよその村からたくさんの大工を頼みました。その中に湖の南岸の小海からやってきた幸右衛門という、とても逞しい立派な若者の大工がいました。おるすはお茶などの世話をしているうちに、幸右衛門のお嫁さんになりたいと思うようになりました。
やがて家が一軒、また一軒と出来上がると、大工たちはそれぞれの村に帰り、おるすと幸右衛門は、お互いの気祢ちを伝えることもなく別れてしまいました。
おるすは毎日小海の見える浜に行き、幸右衛門のことを考えていました。前に広がる湖には一艘の船もなく、毎日悩んでいました。
幸右衛門もおるすに会いたくて仕事も手につかず、とうとう、たらいに乗って漕ぎだしました。丸いたらいは波の聞をさまよって、あたりはだんだんと暗くなりました。おるすはそばにあった流木を集めて岩の上で燃し、幸右衛門は焚き火の灯を目当てにおるすの待つ岩へたどりつくことができました。それからは雨の夜も風の夜も二人は毎晩会いました。
やがて日が過ぎ、十二ケ岳おろしの強い風の吹く夜でした。幸右衛門がおるすに会いたい一心から潜ぎ出したたらい船は、荒波の中で木の葉のようにもまれ、目印の火をたよりに一生懸命に漕ぎましたが、荒れ狂う嵐に火は消え、幸右衛門はたらい船ごと沈んで死んでしまいました。そのことなど知るはずもないおるすは、毎晩いつものように岩の上で火を焚いて待ち続けました。そして、幸右衛門に嫌われてしまったと思い込んだおるすは、寒い小雪の舞う夜、湖に身を投げてしまいました。
今でもおるすが火を燃やして待っていた岩を「るすが岩(留守が岩)」と呼んで、地元の人たちはおるすの悲しい話を語り伝えています。 (河口湖町)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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るすが岩
むかし、河口湖に面した大石村(河口湖町)に大火があり、大工が近郷の村々からやってきて復旧工事に当った。名をおるすという娘の家では、対岸の勝山村から来た幸右衛門という若い大工が働いていた。
おるすは、機敏で働き者で、顔よし腕よしの幸右衛門をたちまち好きになってしまった。建築も終わりに近づいたある日、おるすは顔を赤らめながら「あなたのお嫁になりたい」と意のうちを語った。
幸右衛門も、器量よしで何かと親切にしてくれるおるすに気を引かれていないわけではなかった。だが幸右衛門は慎重な男であった。知り合って間もない女と一生を添えるかどうか不安であったし、愛情の深さを確かめたくもあった。幸石衛門は迷いに迷った揚げ句「百夜続けて会いに来てくれるなら夫婦になろう」と言った。
愛に燃えるおるすは、ひたむきに毎晩たらいを舟として勝山明神の灯明を頼りに湖水を渡った。
七十夜八十夜と重ねるうちに、幸右衛門はおるすの愛情の深さを知り「もうやめてもよい」と何度か言おうと思ったが、残り少ない日を思うと、お互いに満願の喜びを味わいたいと思ってためらっていた。幸右衛門もいつしかおるすを深く愛するようになっていたのである。
九十九夜を重ね「明日は満願だね」と手を取り合って別れた翌日は、暴風雨となった。
いくらなんでも今夜は来ないとは思ったものの、満願の日でもあるので、もしやという思いに胸騒ぎを感じて、勝山明神に灯明をかざした。風に吹き消される灯明を何度も何度もつけかえしながら、一とき(二時間)も待ったが来ないので、幸右衛門の胸騒ぎは治まり安心して家に戻った。が、おるすは満願かなう百夜自の大切な日なので、その夜もたらいの舟を出していたのである。
翌朝、大石のはずれ、長浜村に近い岩の下に女の水死体があるという騒ぎを聞いて不安を感じながらかけつけた幸右衛門は、それがおるすだと分かると、変わり果てた亡きがらをしっかりと抱きかかえやおら立上ると
「約束は果たすぞ。極楽浄土で夫婦になろう」と呼びかけながら岩の上に登り、アッという間におるすを抱いたまま湖水に飛び込み、永遠の契りを湖底で結んだ。
その後、たらいの舟を砕いた岩はるすが岩と称されるようになり、悲恋は今も伝えられている。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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