物語
Old Tale
#0508
信玄公の隠し湯
ソース場所:南巨摩郡身延町下部 下部温泉
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和51年)「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店 , 下部温泉郷観光パンフレット などを参考にしました。
●画像撮影 : 2015年10月26日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 「武田信玄の隠し湯」と呼ばれる湯治場は県内外に多数ありますが、なかでも下部温泉は、武田信虎時代から武田家公認の湯として「川中島の合戦」で傷ついた兵士の傷を癒しました。 また、身延山久遠寺参詣者も利用し、古くから温泉地として知られている。
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信玄公の隠し湯
日本の名湯百選に選ばれている下部温泉。
「武田信玄の隠し湯」といわれていますが、歴史は古く景行天皇の御代(70~130年)に甲斐国造 塩海足尼(しおみのそこねお)により発見され、その姓をとって塩部(下部)と名づけたと言う言い伝えも残っている。「甲斐国志」によれば、承和3年(836年)に熊野権現が出現して温泉が涌いたと記されている。鎌倉時代には日蓮上人がここで湯治を行ったと言う書状も残されている。
武田信玄の父・信虎の時代から武田家公認の湯となり、湯之奥金山や木材の集積地としても栄えた。
「川中島の合戦」の時は、傷を負った多くの兵たちが下部温泉に湯治して傷を癒したと伝えられている。下部温泉には、武田信玄の直筆・花押入り「免許状」をはじめ、父・信虎、穴山信君(梅雪)の花押入り書状、馬場美濃守(信春)の感謝状等が残されている。
武田氏滅亡後は徳川の支配地となり、徳川家康も入浴したという。
江戸時代以降湯治場となり、身延山久遠寺参詣者も利用した。
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