0500│吠えた狛犬

ソース場所:西八代郡市川三郷町大塚4232 熊野神社
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 2015年04月24日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 市川三郷町大塚の熊野神社に室町時代に作られた石の狛犬が置かれている。もとは北原のお宮に置かれていたのだが、そのお宮の森は良木がたくさん茂っていたので、他郷の者が度々盗伐に来て木材を持ち去った。社前の狛犬はその度に吼えて盗人を追払った。ある時、盗人が怒って狛犬たちの足を切ってしまった。それきり狛犬たちは動かなくなってしまった。そして、その盗人はその晩、ぽっくりと死んでしまったと云う。
吠えた狛犬
大塚村(現三珠町)の北原熊野神社のお森は、カシや杉の木が生え茂っていて昼なお暗いありさまでした。
そのため、よそ村の人たちがときどきこの森の木を盗みにやって来ました。そんな時には神社の前にある二頭の狛犬が、大きい声をあげて吠えたてて追いはらってしまいました。
ところが、ある日のことです。隣り村に住む乱暴者の若いきこりが、木を盗みにやって来ました。
やがて、きこりが木を切りはじめると、また狛犬が吠えたてました。
これに腹を立てたきこりは、斧をふり上げて、つぎつぎと二頭の狛犬に襲いかかり、前足をそれぞれ一本づつ切ってしまいました。足を切られた狛犬は、ぴたりと吠えることをやめてしまいました。
そこで、きこりは大いぱりで、たくさんの木を持って家に帰っていきました。
不思議なことに、きこりはその晩のうちに、ぽっくりと死んでしまいました。
それからというものは、狛犬を恐れて木を盗みに来る人はなくなったということです。 いまでも石で造られたこの狛犬は、前足が切られたままで、神社の本殿前に立っています。
狛犬は牡牝一対で、室町時代の、応永十二年(千四百五年)八月一日の作、その腹部に「大公惟見、小公藤次郎」の刻名があります。(三珠町)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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狛犬石
この村には熊野三社があり、北の宮(字北原)、中の宮(字東村)、西の宮(字神田)の中、北の宮の北原熊野神社前に一対の石の狛犬がおかれ、後小松天皇応永十二年八月(足利四代の頃)の作と伝えられている。この辺は昔は大森林で松杉檜等が繁っていたから、他郷の者が度々盗伐に来て木材を持ち去った。社前の狛犬はその度に吼えて盗人を追払ったが、或る日乱暴な樵夫が斧で雌雄の狛犬の前足を各一本ずつ切断したので、その後は動き出さぬようになり、又その樵夫は帰宅後間もなく急死した。明治四十三年三月官許があり、北原、神田の二社を東村の中の宮へ合祀し、狛犬もそこへ移されて、今も牡牝共に前足を一本ずつ切断されたまま現存している。 (西八代郡誌)
「甲斐傳説集」土橋里木 著/山梨民俗の会 より