


物語
Old Tale
#0525
鶴塚
ソース場所:富士吉田市新倉899 聖徳山福源寺
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
・ 参照:「富士山と芸術」 http://www.ichikawa-sho.ed.jp/fujisan/geijyutu.htm
●画像撮影 : 2014年09月04日
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。










[概 要] 秦の始皇帝は世界を手にしたが、永遠の命を手にすることは出来なかった。永遠の若さと命を得る妙薬はないかと国中を探させたが見つからず、「海を越えた向こうに不死の山(富士山)があり、楽園のような土地がある」と聞き徐福に命じ不老不死の薬を探させた。この時、徐福は織物など、当時の中国の進んだ技術を携え日本に渡った。結局、不老不死の薬は見つからず、徐福は望郷の念をおぼえながら富士山麓の地で一生を終えた。徐福の墓所より鶴が飛び立つのを見た人々は、織物技術を持ってきてくれた徐福に感謝の気持ちと、鶴が秦国の方を目指して飛ぶ姿に、徐福の望郷の気持ちをみて、その墓所を鶴塚とよんだ。
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鶴になった徐福
万里の長城を造った秦の始皇帝は暴君で、皇帝という権力を利用して、やりたい放題の生活ができた。でも意のままにならぬことは、老いて死を迎えることであった。何とか老いることなく死ぬことのない薬はないかと、権力の及ぶ限りのあらゆる手段を尽くして探させたが、見つけることはできなかった。
そこへ、使いに出した家来の一人から耳よりな話が届いた。「海を隔てた東方に蓬莱国といって、金色に輝く島国があり、その国の人々は不死山(富士山)という霊山の幽谷からとれる草の実を食べるので、みな美しく若々しい男女ばかりで、歓楽をつくし、楽園のような国である。」という話である。そこにこそ不老不死の薬があるに違いないと、小躍りして喜んだ皇帝は「薬を手に入れるまでは帰国はまかりならぬ」と、徐福に蓬菜国行きを命じた。
徐福は「不老不死の薬などあるはずはない」とほとんど確信に近い疑念を抱いていたので、二度と故国の土は踏むことはできぬことを覚悟して、五百人の家来とともに蓬莱国日本へやってきた。
肥前の国、今の佐賀県の諸富町で、はやくも日本は若者ばかりの国ではないことを知った。だがともかく、不死山という山があるのだからそこまでは行ってみねばならぬと再び東方に海路をたどって紀州新宮の地に至った。紀伊半島を伊豆半島と間違えた徐福は新宮の地におりて、神々の住む熊野の山々をかきわけて不老不死の薬草を探したが、そのうちに不死山はもっと遠く、東の方にあるのを知った。
あるはずはなかろうと思いながらも、万に一つの望みに光を求めて辛苦の旅をつづけ、広い中国でも見たこともない美しい山を海上はるかに見たときは、神秘的な美しさに魅せられて不老不死の薬があるやも知れぬという望みを抱くに至った。
あわい望みに夢を託して、富士の裾野を探しに探したがとうとう見つからぬまま富士北ろくに至り、青木ケ原や梨が原の山中を探し求めた。霊峰 富士の霊気をあびて育つコケモモの実が、その薬ではないかと思ったが、それを食す土地の者さえ老いて死ぬのを見て、疑念は絶望的な確信に変わり、帰国することを断念した。
土着して織物の技術を伝えるなどしたが、年とともに望郷の念が募り、日夜富士を拝しては、帰国の許しが来るのを念じ続けた。その願いもむなしく、徐福にも天寿が訪れた。
それから間もなく、富士のふもとの徐福の墓所から、鶴か舞い立つようになった。鶴は富士の天空を高く美しく飛んでは墓所に戻った。鶴は徐福の化身で、故郷をはるかに望むのだと人々は鶴をあわれんだ。その鶴も千年を超える寿命が尽きて、元禄十一年に生涯を終わった。人々は徐福化身の鶴として富士吉田市の福源寺に葬り、鶴塚をたてて祀った。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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『ツルになった徐福』(富士吉田)
二千年前、中国が「秦」(しん)とよばれていたころです。しんの王は、不老不死の薬をさがしていました。ある日、東方(日本)の国の芙蓉山(富士山)に、その薬があると、告げるものがいました。
そこで王は、「徐福」という者を、東方の国へ探しに行かせることにしました。
徐福は、何日もかかって、やっと日本へ上陸し、富士山をさがし歩きました。富士につくと、徐福はおどろきました。富士山は美しい山で、広い中国にも、これほどの山はなかったからです。
不老不死の薬がどこにあるか、土地の者にたずねると、富士山のかすみをすって育つコケモモ(はまなし)という、赤い実が、不老不死の薬らしいと分かったので、徐福たちは、ありったけのコケモモを集めました。
コケモモを取り終わったとき、王の死を伝える使者がやってきた。
国に帰るのには、又苦しい旅をしなければならないので、徐福たちは、富士山のふもとに住むことに決めました。そして、中国の進んだ技術を伝えました。
何十年もたち、徐福も年をとりました。徐福は死んだらツルになりたいと願っていましたが、死ぬとツルになって本当に空へすいこまれていってしまいました。それから、この土地は「つるの都」(都留郡)とよばれるようになったそうです。
参照:「富士山と芸術」
http://www.ichikawa-sho.ed.jp/fujisan/geijyutu.htm
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