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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、 産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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Old Tale

#0532

勝頼の思案石

ソース場所:甲州市大和町田野 日川渓谷レジャーセンターテニスコート脇 (35.652488,138.815990)


●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会         
●画像撮影  : 2014年09月19日
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 武田勝頼の悲劇を語り継ぐお話。滅亡の直前、女性たちとわずかな兵で、行くことも戻ることもかなわぬ中、路傍の石に腰掛け、進退を思案したと伝えられている。

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武田勝頼は田野から天目山に入ろうとして、大蔵原に出たが、小山田氏の叛軍がその進路を塞いだから、不利を察してふたたび田野へ引き返した。路傍に条文ある方形の石があり、勝頼はこの石に腰かけてその進退を思案したから、これを思案石という。 (東八代郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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大蔵原思案石[おおくらはらしあんぜき]
武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正十年(一五八二)三月十日 天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起こした小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この附近の峰に構えているとの情報を得た。
又、武田の浪人辻弥兵衛の一隊が、勝沼の深沢口より山越しに迂回し、天目山栖雲寺を経て、この先の枕坂山上に陣を敷き要撃する構えがあるのを知り、進路を全く塞がれたのである。
この時 勝頼公は、路傍の石に腰を掛け しばらく思慮していたが、この附近で戦うには地の利がないことを悟り意を決して再び田野[たの]に引き返したと言われている。
勝頼公が腰を掛けた石には、武田菱に似た条紋が浮いており、大蔵原思案石という。
・        昭和六十二年三月建立  大和村教育委員会
(現地説明版より    大和村は市町村合併により甲州市大和町となっている。また、この文章では辻弥兵衛の一隊とあるが、昨今の調査によると辻弥兵衛盛昌は裏切ってなく、滝川一益の別働隊が廻り込んで進路を塞いでいたとされる。)

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大蔵原思案石 日川渓谷レジャーセンター テニスコート脇。こちらには日川渓谷レジャーセンターからではなく、その先の陶芸所入口から入っていく。

このデザインソースに関連する場所

甲州市大和町田野 日川渓谷レジャーセンター

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