物語
Old Tale
#0306
お硯井戸[お硯水]
ソース場所:笛吹市石和町四日市場1388 御硯水祖師堂
●ソース元 :・ 現地説明板
・ 鵜飼山遠妙寺 由緒書
●画像撮影 : 2015年07月02日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 能の演目「鵜飼」のもとになったお話。
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旧蹟 「御硯水」
元暦の昔 平家没落の頃 平家の公達(大納言時忠と云われる)が左遷され 石和の里に蟄居していた時 観音寺々領を流れる鵜飼川(石和川)の禁漁区に於いて 鵜を放ち 漁をしたため里人の怒りを買い簀巻きの刑に処せられ〝岩落〟の水底に沈められた。後その怨念は、幽魂となって縷々里人を悩ましていた。
鵜飼山縁起に因ると「文永十一年夏の頃 身延の草庵を発たれた日蓮代聖人が日朗・日向両上人を伴い会一円を御巡化の砌り 石和の里 鬼苦ヶ島(菊ヶ嶋)の辻堂に休息し給いはしなくも彼の亡霊に接し、これを済度し給わんと思し召され日朗菩薩は河原の小石を集め日向上人は墨を硯り大上人自ら筆をとらせ給いて法華経一部八巻二十八品六万九千三百八十余文字を三日三夜の亘り一字一石の経石に書写して鵜飼川岩落の水底に沈め川施餓鬼供養を修し涸れの亡霊を成仏得脱せしめ給うた」とある。彼の硯の水が経の「お硯水」または「お硯井戸」であり大聖人が、錫杖によって穿たれた井戸と伝えられている。住古は清冽玲瓏滾々としていたが明治四十年の大洪水により埋没 その後 浚渫補修し今日に至る。因って この硯水を霊水となし題目を誦すれば忽ちその勢いを増して迸ると又醸造に用うれば芳醇四海にあまねく銘酒になると云う。故にこの水を汲み符水となすもの多しと伝う。
〝岩落〟 現在地東方百米の地に相生の老杉あり、その西側 元鵜飼川の本流に岩石そばだち水が衝り滝の如くに落ちたので岩落と称した。 鵜飼山 遠妙寺
(御硯水の説明板 より)
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鵜飼山遠妙寺による由緒書によると、この井戸は、日蓮上人が錫杖(しゃくじょう)によって穿(うがつ=掘る)たれた井戸と伝えられている。明治40年の大洪水により埋没したため、その後復旧して、今日に至っている。
笛吹川畔には、鵜飼伝説にある日蓮休息の御堂(祖師堂)跡が復元されて、川施餓鬼供養の法華経を書くための硯の水を汲んだ井戸があるところです。
当時の元石和川(鵜飼川)は、法城山観音寺領域はもとより石和一帯までも大洪水で流失したため、現在の笛吹川の位置と異なるらしいが、伝説に基づいて復元された御堂(祖師堂)です。ここに湧き出る井戸水は当時の硯の水を汲んだ思いが蘇る所縁の井戸水です。
この硯水は霊水とされて、題目を誦えれば即ちその勢いを増して迸(ほとばし)ると、また醸造に用うれば芳醇四海にあまねく銘酒となるという。この水を汲み符水(ふすい=神仏の加護を約束する)となすもの多しと伝わっていると解説されています。
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