物語
Old Tale
#1118
脚気石
ソース場所:甲府市上帯那町2314 脚気石神社
●ソース元 :・ 現地説明板より (脚気石稲荷神社 宮司 山本 晃 氏による)
●画像撮影 : 2015年12月07日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 武田信虎が,上帯那を訪れた際、急に脚気のようになり、歩くことが出来なくなった。路傍の石に腰かけると、急に脚の痛みが消えた。不思議に思うと、村の長が「この石は、脚気の石と云い、脚気を患った者が願掛けすると霊感あらたかになる」と云う。 信虎は家臣に命じて石の上に祠を建て、この石を崇めたと云う。
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* 脚気石稲荷神社御由緒
御祭神と御神徳
・天御中主神[あめのみなかぬし] 高皇産霊神[たかみむすび] 神産霊神[かみむすび] 天照大御神[あまてらすおおみかみ] 保食神[うけもち]
〇 脚腰の障害防止と治癒 徐災招福 家業・事業繁栄
数多くの哺乳類の中で直立二足歩行ができるのはヒトだけである。
ヒトだから二本脚で歩くのではなく二本脚で歩くようになったからヒトとして進化してきたのである。(脚とは足の付け根から足先まで)
体を支える「脚」、踏面に接する「足」の裏(ツボ・センサーの宝庫)それから神経を通して「脳」にたくさんの情報を伝えることで脚は「第二の脳」。そして足の筋肉の収縮によるポンプ作用により血液の心臓への戻り促進「第二の心臓」の働きをする故、脚の健康は脚だけの問題ではない。
植物は見えにくい「根っこ」で勝負する。花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、人生百年時代を迎えて勝負するのは見えにくい脚足・心・脳である。
脚の障害や交通事故、成人病に苦しむ現代人。
創建
□ 住古「日本武尊 ヤマトタケルノミコト」東征(関東八ヵ国)時にさかのぼる。甲斐の古道九筋の一つ・秩父往還に連なるルート上 甲斐国にご入国になり 酒折の宮(連歌発祥の地)<古事記 日本書紀に記>にしばらくご滞在あそばされ、その折 国中をご巡視された。東征のみぎり故さらに秩父へ向かわれる時 たまたまこの地を過ぎりしおり脚痛にてお悩みになり甲冑の「帯」を解き 境内の路傍の巨岩に たたずみ 御休息され巨岩の上に五柱の神々を祭られ平癒祈願をしたところ霊験ありて脚の痛みが消え 再び続け給うとある。ミコトはこの巨岩を「脚気石」と称し またよろい兜の「帯」を解き給いしにより この村名を「帯名」と名付けられた。と口伝あり。 寛喜二年[一二三〇年]「帯名」を「帯那」と一字改める。
□ 甲斐の国主「武田信虎公」は永正四年[一五〇七年] 武田家の家督を相続 永正七年[一五一〇年]一二月臣下を従え帯那・御巣鷹山に鷹狩りをせし時、かねて患ふところの脚気の病を発して歩行困難となりこの巨岩に佇みご休息されたところにわかに痛みが遠のき 不思議に思い村の長を召し問いただしたところ この巨岩は「脚気石」と称して祈願をかければ霊験あるにつき「脚気の神」と申し伝うと。 信虎公その霊験を感得し「米山丹後守」(武田五名臣に数えられ二十四将のひとり足軽大将 原虎胤美濃守の配下)に命じて巨岩の上に「祠」を建立させたと。
本殿はなく脚気石のご霊石を「神の依り代」として奉斎(岩上祭祀)、拝殿、神楽殿、社務所 兼 参籠所とよりなる。神祠修復は弘化年間の「有志人名 端書」による。文久二年五月神祗官領長上家公文所に請願受けし社名
祭典日 四月第二日曜日 例大祭
・ 甲府市上帯那町 岩の下二三一四番地
・ 平成三十一年三月吉日(信虎公 開府五百年)
・ 謹撰・奉納 宮司 山本 晃 (現地説明板より)
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