物語
Old Tale
#1505
湯之奥千軒
ソース場所:南巨摩郡身延町湯之奥
●ソース元 :・ 「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」説明書
・ 土橋里木(昭和51年)「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店 などを参考に書かせていただきました。
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2018年06月05日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 室町時代から江戸時代にかけ、下部温泉からさらに入った湯之奥部落のさらに山奥には「湯之奥金山」とよばれる複数の金鉱山があった。鉱脈が枯渇するまで、湯之奥部落は「湯之奥千軒」と呼ばれるほど栄えていた。今も残る門坂家住宅は、江戸時代この金山を管理した門坂家の住宅で、その立派な造りに湯之奥千軒とこの地が呼ばれた頃を偲ばれる。
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湯之奥千軒
下部温泉から山峡の道を約三キロ東南に入れば湯之奥部落があり、江戸中期の作といわれる入り母屋造りの重要文化財 門西家住宅がある。
室町時代からこの地に住んでいた旧家の門西家は、江戸時代には湯之奥金山を管理し、またこの地の関守を務めていました。
湯之奥金山とは、湯之奥部落の東方静岡県境の毛無山にかけて分布する、中山、内山、茅小屋の金山の総称。戦国時代、甲斐河内地方を支配していた穴山氏に属し、穴山氏富強の源をなしたと言う。武田・穴山氏の滅亡以降は武田遺領を支配した徳川家康のもとに採掘がつづけられるが、鉱脈の枯渇に伴い17世紀末ごろ事実上閉山した。
当時湯之奥千軒と言われるほど栄え、今もその遺跡と、鉱石を砕いた石臼、墓塚等があり、また宮屋敷、寺屋敷、女郎屋敷等の跡も残っている。
平成元年から三年間、湯之奥金山遺跡学術調査委員会が組織され、三金山のうち中山金山について発掘調査を伴う総合学術調査が実施された。石臼や鉱山道具、労働者達の日用品等が発掘され「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」に展示されている。
「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」説明書・土橋里木(昭和51年)「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店 などより
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