物語
Old Tale
#1283
長生寺の黒だるま
ソース場所:都留市下谷2954 長生寺「黒だるま」
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月08日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 谷村城の秋山泰朝公の采配で、日光東照宮の造営に携わっていた左甚五郎に長生寺の造作を依頼した。この時、材として道志村の神代桜が選ばれた。村役人たちは、「桜は村の名木として大切にされてきていたので、出来れば造作に使われなかった端材で何か村のために彫刻をお願いできたら喜んで提供します。」と云うので、左甚五郎は村人たちのため「願掛け達磨」を彫って渡した。達磨のご利益で大勢の人たちが病を平癒させ、村人たちはとてもありがたく思ったが、達磨が置かれた家ではきまってどの家でも達磨が「長生寺へ帰りたい」と言って泣く夢をみるようになったと云う。ありがたい達磨様ではありますが、帰りたいと泣くのを、道志に留めておいてはいけないと、長生寺に預ける事にしたと云います。
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長生寺の黒だるま
日光東照宮普譜の惣奉行をつとめていた谷村城の殿様 秋元泰朝公は、東照宮が落成すると造営に携わっていた左甚五郎を国元へ招いた。秋元公の菩提寺であり郡内きっての名刹である長生寺の本堂に造作を加え、堂々とした唐破風向拝を増築し寄進するためであった。
左甚五郎といえば、鳴き龍や鶯廊下を作ったり、日光を代表する眠り猫を彫った人で、当代一と評された名彫刻師である。この甚五郎に殿様は、向拝の二重虹梁の間を飾る蛙股、頭貫を飾る獅子鼻、向拝柱と本堂を繁ぐ海老虹梁の彫刻を依頼したのであった。
彫刻の材料には、樹齢五百年を数えるという道志村の神代桜が選ばれた。道志村の五軒の大屋が村役人として村を仕切っていたが、大屋達は村自慢の桜ではあるが選ばれたことを名誉に思い、切られた桜の一部を使って名人甚五郎の作品を村のために残すことを条件に、提供を快く承諾した。
殿様から名主達の要望を伝えられた甚五郎は「村の名木ということであれば村中すべての人の役に立つように願かけ達磨を彫りましょう」と即座に引き受けてくれた。
落慶法要の日、神代桜を提供した村の代表として五軒の大屋も招かれて参列した。式が終ると和尚から達磨が渡され「願いごとは一つ。欲張ってはいけません。特に病に苦しむ人を救うはずです」という甚五郎からのことばが伝えられた。
噂に聞く甚五郎の作となれば、厳めしく威厳に満ちた精悍な達磨だろうと想像していた大屋達は、渡された達磨が屈託なくあどけない童顔であるのでややがっかりしながらも、上野寛永寺の龍は夜毎水浴に出かけるくらいだからきっとご利益はあるだろうと、ありがたく頂だいした。
早速、病に苦しんでいる人が借りに来て平癒の願いをすると、病人はいつしか回復した。こうして何人もの人が達磨に救われた。
願い事が叶うと分ると借り主は返したくなくなるのが人情である。ところが返さずに余分に願い事をしても一向にご利益がないばかりでなく、きまってどの家でも達磨が「長生寺へ帰りたい」と言って泣く夢をみるのである。
こんなわけで願かけをした人は願い事が叶えばすぐに五軒のうちの近くの大屋へ達磨を返すのだが、返された大屋の家でも達磨がある間「長生寺へ帰りたい」という達磨の夢を見るのである。
達磨の夢が気になった大屋達は相談の結果「達磨さんは禅修行の本尊様なのに修業の役が果せないのが不本意なのだろう。その上達磨を彫った桜の大部分は長生寺にあって、蛙股や獅子鼻になっている。きっと達磨さんも兄弟のところで自分の本来の役割を果したのだろう」ということになり長生寺に預けることに決まった。
長生寺では、禅修行になくてはならぬ達磨を迎えて喜んだ。建物に刻まれた甚五郎の彫刻はその後の火災で失われたが、達磨だけは運び出され、安住の場所を得て座禅でもしているのだろうか、今は客殿に寺宝として静かに安置されている。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
イメージ写真は甲州市 栖雲寺の石の達磨さまです
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