物語
Old Tale
#1552
十万部の法華経
ソース場所:十萬部寺 早川町小縄137
●ソース元 :・ 「早川のいいつたえ」第二集 著者:三井啓心 出版社:㈱上田印刷
●画像撮影 : 年月日
●データ公開 : 2020年08月21日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 早川町赤沢宿から身延山への身延往還のほぼ中間に十万部寺というお寺が有ります。法華経に帰依するため、四代に渡る僧たちが生涯をかけ法華経を唱え続け、ついに十万部を唱え切ったので、寺名を「十万部寺」とするように許されたといいます。
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赤沢のいいつたえ
『十万部の法華経』
早川町で、この頃、有名になってきたところに「信仰とやすらぎの里、赤沢宿」があります。
赤沢宿は、昔、七面山まいりの信者が泊ったその名残があり、また地元保存会の努力で、石畳の道が復活しました。
ここから、車で十五分(*現在車で行くことは出来ない)ほど登ったところに、十万部寺[ジュウマンブジ]があります。
日蓮上人には、直弟子の日照[ニッショウ]、日朗[ニチロウ]、日興[ニッコウ]、日向[ニコウ]、日頂[ニッチョウ]、日持[ニチジ]の六老僧がいましたが、二人目の日朗上人が、この寺の開山です。
この上人、法華経に帰依する心は並みの僧と違い、「よし、法華経十万部を唱えよう」と決心しました。
ひと口に拾万部というけれども、唱えることになれば大変なことで、発願の三十三才からなんと五十年間、八十三才まで唱えとおして、後住[コウジュウ]にゆずり、示寂[ジジャク]しました。
その尊い志をうけた二代の上人、三代、四代と法華経は唱え続けられ、四代の日久[ニッキュウ]上人がやっと唱えおわりました。
満願成就の日、さっそく身延山久遠寺十五代住職、日叙[ニチジョ]上人にその旨報告したところ、おほめの言葉と共に、寺名を十万部寺とするようにいわれたといいます。
このお寺、もとは身延山よりにあって、妙法二神堂[ミョウホウニシンドウ]とかいわれていて、その後、現在のところに、建てかえられています。
赤沢からのハイキングコースには適当で、足に自信のない人でも二時間ぐらいで、のぼれます。有名な武田信玄の身延ぜめには、このお寺の天狗等眷属がお山の大事と、杉の木立を兵士にかえて、信玄の軍勢をおどかしたので、さしもの信玄も、飯富から引き返したといういいつたえがあります。
そんなわけでこのお寺には、天狗に関係のある道具や、願いのかなった人の奉納する、大きな下駄や、わらじが、門のところにぶらさがっています。
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。