物語
Old Tale
#0325
根古屋の白米城
ソース場所:北杜市須玉町江草 獅子吼<ししく>城跡
●ソース元 :・ 広報ほくと2006 3月号 No.17 p.15
・ 現地説明板
・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編 (甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 )
●画像撮影 : 2014年09月25日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
【概要】北杜市須玉町江草の根古屋神社の裏山は「獅子吼城(江草城)」と呼ばれる古城跡です。室町時代、武田氏10代当主武田信満の三男 江草信泰から続く江草氏の居城。1500年代初頭には小尾氏との間で抗争があったようだ。武田氏滅亡後の甲斐国で吹き荒れた天正壬午の乱(徳川氏と北条氏による甲斐国内の陣取り合戦)では、北条氏が押さえた後、徳川の服部半蔵率いる伊賀組やそれに協力する武田の遺臣らに攻められ、落城した。 この城にも白米城伝説が有ります。
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根古屋神社の大ケヤキの裏山にあたります。集落から比べて80mほどの高さがある急峻(きゅうしゅん)な独立した山で、山頂を中心に多くの郭(くるわ)(建物を置くため等に人工的に削平された平場)が配置されています。この城の大きな特徴は自然石を利用した石積み、石塁で巧みに郭を構築していることで、場所によっては石で全面覆われているようにも見え、見る者を圧倒します。
この城は眼下に流れる塩川、これに沿って延びる小尾街道を押さえる重要な城でした。この城に関する史料の初見は『高白斎記(こうはくさいき)』永正六(1509)年の条で、「十月二十三日、小尾弥十郎江草城ヲ乗取」と書かれています。また、武田氏滅亡後に甲斐国の領有をめぐって徳川氏と小田原に本拠を置く北条氏の争った天正壬午(てんしょうじんご)の戦いでも主要な攻防が行われた城で、北条氏が押さえた後、服部半蔵率いる伊賀組の活躍により落城したという歴史があります。
冬は山城を見学するには絶好の季節です。夏の時期には鬱蒼(うっそう)と茂った草木で見えなかった遺構が良く見え、新たな発見があるかもしれません。
広報ほくと2006 3月号 No.17 p.15
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この城にも白米城伝説が有ります。落城間際に籠城したが、水を断たれ水の欠乏を敵に悟られないように白く光る白米を馬洗いの水に見せかけたりしたが、獅子吼城城主の富を妬んだ(もしくはあまり考えなしで語った)老婆が敵方に水の欠乏をばらし遂には落城してしまった。 アーカイブ1220「新府の白米城」で詳しく記載したが、日本各地の悲劇を伴う古城跡によく語り継がれる伝説(まれにその策略が功をなし落城しなかったという例も有るようだが)。この伝説は各地を廻る霊能者、いわゆる「歩き巫女」がそれぞれの地方へ自分の霊力を示して入り込むためのつかみに使った為、各地で同様な話がされているのではないかという説がある。県内でも各地に同様な話が残っている。
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獅子吼城
別名「江草城」。地域では、「城山」と呼んでいる中世の山城。山頂の広くて平坦な主郭(本丸)を中心に斜面には、平らな石を積み上げた石垣と、それらを用いて区画した多数の曲輪。斜面を縦断する縦堀が配置されている。付近には、湯戸、駒ケ入、根古屋、堀、西の御所内(平)等の集落及び地名がある。とくに、根古屋の地名は、山城の城下町を意味する。平安時代、馬産地であったこの地方に朝廷の直轄の牧が設置され、それを統括する牧監が置かれた場所ともいわれる。そして、塩川対岸の斑山には金山があったり、また、江戸時代には関所が置かれるなど古来より重要な位置にある。城の東北にある見性寺の寺記に、鎌倉時代の終わり元応二年(1320年)五月四日夜、この城で信田小右衛門実正・小太郎実高 親子とその家来が討死したとある。また、武田系譜に応永年間(1394-1428年)武田信満の三男 江草兵庫助信泰が居城したと言われ、見性寺には信泰の位牌と木像が安置されている。武田信玄の時代には、烽火通信の中継地として重要な場所であったといわれ、塩川上流の「大渡の烽火台」「比志城」「前の山の烽火台」さらに甲信国境の信州峠。また、西方には「中尾城」「若神子城」「大豆生田砦(まみょうだとりで)」「能見城」「新府城」などまで遠望できる。
天正十年壬午(1583年)三月、新羅三郎義光以来の名門 武田氏は、信玄没後十年をへずして織田信長により悲劇的な滅亡を遂げた。その信長も六月、本能寺の変で明智光秀に殺された。この為、甲斐の国は、小田原の北条氏直と徳川家康との係争の地となった。この戦いを天正壬午の乱という。家康は韮崎の新府城に陣し、氏直は若神子に本陣を構え、大豆生田砦と獅子吼城にそれぞれ兵を配した。九月の初旬、津金衆・小尾衆など武田の遺臣たちと服部半蔵ひきいる伊賀組とがこの城に夜襲をかけて落城させている。この戦いは家康の勝利が決定的なものとなっただけでなく、甲州における戦国時代最後の合戦であった。
現地説明板より
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逸見荏草舊城(古城)
城跡が今も残っている。土地の者が云うに、この城には不思議な事がある。乱世の時代、敵が攻め寄せいよいよ危なくなってくると、山上から唐獅子が出て来て敵兵を追い払うと云う。この城跡は甲陽軍鑑にも書かれてはいない。甲陽軍鑑が書かれた時代よりも前の物だからだろう。ある人が云うに、獅子の話は論ずるに足らないが、そのころ、城守の奇策によって窮地を脱した事があったのではないだろうかと。 (「裏見寒話」 追加 怪談 の項より)
甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編
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「裏見寒話」とは、野田成方が甲府勤番士として在任していた享保九年~宝暦三年(1724-1753)までの30年間に見聞きしたり、調べた甲斐の国の地理、風俗、言い伝えなどをまとめたものです。只々聞いたものを記すだけでなく、言い伝えられている某氏の名前を古い書物から探し出したり、例えば鳥の羽が夜光ることを、不思議な話だと記すだけではなく、闇夜に猫の毛を逆立てると火花が散るがこういった現象ではないだろうか?と考察している。当時の様子や、一般の人達にとって常識だった歴史上の事柄(歌舞伎や浄瑠璃などで演じられ、当時の庶民に良く知られていいた)を知ることが出来る。
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