物語
Old Tale
#0361
連歌の発祥地 酒折宮
ソース場所:甲府市酒折3-1-13 酒折宮
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
●画像撮影 : 2015年10月20日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 日本武尊が東征の帰路この酒折の地に辿り着き、長い旅を振り返り「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる(新治、筑波の地を過ぎて、ここまで幾晩眠ったかな?)」と家来たちに向かい歌で問いかけたところ、火焚きの番をしていた老人が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を(日を重ね 夜では九夜 昼では十日を数えました)」と歌で返したという。この片歌問答が連歌の起源という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
連歌の発祥地 酒折宮
第十四代景行天皇が日本の国を治めていたとき、各地で天皇に叛いた豪族がいて、これを平定するため子どもの日本武尊がその役目を命じられました。
尊は東北地方の平定を終えて、甲府の東にあたる酒折の地に数日滞在し、長い旅の疲れでほっと一息というところでした。山の麓は秋の色を濃く、こおろぎや鈴虫も鳴いていた静かな夜でした。尊は今まで戦に苦しみが多かったので、このときばかりは安らぎのある静かな日々でした。
しかし尊は思いました。幾日も旅を続けてきたがあれからもう何日がたつているだろうかと、そこで家来の者たちに向かって
「にひばり筑波をすぎていく夜かねつる」
と歌で問いかけました。ところが尊のこの問に誰ひとり答えられる者はなかったのでした。家来たちがこまっていると仮屋の隅の方で火焚きの役をしていた翁がこれに答えて
「かがなべて夜には九夜、日には十日を」
と返しました。夜で数えますと九夜になります。昼では十日になりましょうという意味のうたです。
思いもよらない翁のりっぱな返し歌に尊はたいへんお喜びになり、後に身分の高い国造りの役人に任命したと言うことです。
この歌は二人の者が後句と前句を詠み合う連歌として後に盛んになりますが、尊と翁のこの歌が、日本では最初の連歌だとされています。つまり酒折の地は日本連歌の発祥の地となったわけです。
この物語は日本で最も古い書物と言われる『古事記』にも書かれているところから、後々にこの地に酒折宮が建てられ日本武尊を祀りました。享保年間に柳沢吉保が「甲斐八景」を選んだとき、その一つに加えられ「酒折の夜雨」として多くの人々の心に刻まれましたが、今は訪れる人も少なくなっています。
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
このデザインソースに関連する場所
Old Tale
Archives
物語
山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。