物語
Old Tale
#0369
古関
ソース場所:甲府市古関町
●ソース元: ・現地説明板や現地調査時地元の方から教えていただきました。
・古関関所跡 現地説明板(甲府市教育委員会設置)
●画像撮影 : 2015年10月16日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 古関は甲駿中道往還の間宿。治承・寿永の乱以来、駿河と甲斐をつなぐ重要な軍事道路として機能していたため、武田氏は古関と本栖に関所を設置していた。戦国時代には特に重要な経路とされ、古関周辺には砦が築かれた。 武田の時代から甲斐の辺境警備のため「九一色衆」と呼ばれる武士団が置かれていた。
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口留番所跡
古関町町名の由来である口留番所(関所)跡は、中道往還沿いの本郷橋左岸に有りましたが、昭和44年台風26号による寺川の氾濫により、附近の土地ごとごっそり流失してしまいました。
関所は、武田氏の時代からあったとみられ、軍事的要所でした。徳川が甲斐に入るようになると中道往還の軍事的役割は低下し、九一色衆は家康から朱印状を与えられ往還の警備を勤めた。こうしてここでは明治維新で廃止になるまで、行き来する人や物資の監視、警備等が行われていました。
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古関関所跡(古関口留番所跡)
古関関所は、中道往還の人や物の出入りを監視する重要拠点で、口留番所とも呼ばれ、少なくとも16世紀半ばには存在し、当時の史料も残っています。
江戸時代後期の古関関所は、間口5m×桁行3.6mの建物に、高さ.7mの門と、右側22m、左側7mの矢来(竹製の柵)が付属し、地元の村人2名が交代で警護を担当しました。
関所のあった中道往還は、既に古代には開かれたと言われ、甲府と吉原(静岡県富士市)を最短距離(約78km)で結び、戦国時代には、武田信玄・織田信長・徳川家康なども通った、軍事上の重要路でした。江戸時代の中道往還は、「魚の道」とも称され、駿河湾の海産物をほぼ1日で甲府魚町まで運ぶ道路として栄えます。
古関関所跡は、本郷集落入口の寺川左岸にありましたが、昭和41年(1966)9月26日の台風26号による氾濫により流出しました。 甲府市教育委員会(現地説明板)
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。