物語
Old Tale
#0536
雷の手形
ソース場所:甲府市太田町5-16
●ソース元 :・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編 (甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 )
●画像撮影 : 2015年05月29日
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 一蓮寺は、鎌倉時代源頼朝によって謀殺された一条忠頼の菩提を弔うために、忠頼の居館であった一条小山(甲府城跡の辺り)に建立された尼寺が前身です。武田氏の滅亡後、一条小山に甲府城が築城され、一蓮寺は現在地に移された。江戸時代は甲府城下の周縁部に位置し、観光名所のような場所でした。城下町の縁、時間帯によっては寂しい場所だったのでしょう。一蓮寺、稲積神社の辺りには不思議なお話が数多く伝わっています。
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一蓮寺には「手形傘」と呼ばれるものがある。通常の柄の長い傘である。
昔、道徳心に厚く、勇猛かつ剛力な住職がいた。国中の人がその僧の事を「朝比奈和尚」(鎌倉時代剛力で知られ、水練にも秀で海中から生きたままのサメを捕まえ、3匹も舟上に投げてよこしたと云う朝比奈義秀の故事に倣って朝比奈和尚と呼んだのか?朝比奈義秀は和田義盛の子だったので、和田合戦で奮戦も死亡。)と呼んだ。その和尚の時代の事である。ある日、一蓮寺で葬儀が行われている最中、雷鳴が轟き、暴風雨に見舞われた。黒雲が舞い降り、電光が眼を貫く。その激しさには、僧侶達も施主や参列者たちも恐れおののいていた。和尚は少しも動ぜず、龕*(がん)に登り読経し続けていた。突然、大音量とともに雷が龕上に落ちたかと思うと、その黒雲の中から大きな手が伸びてきて和尚につかみかかろうとした。すると和尚も腕を伸ばし、その大きな腕をつかみ、しばらく両者は引き合ったが、和尚が雲の中から化け物を引きずり下ろし、膝の下に組み敷いた。雷鬼は何とか和尚を跳ね返そうとしたが、和尚の猛力に挫かれ身動き取れなくなった。そのうち雲霧晴れ渡り、雨もやみ風もおさまってきた。雷鬼は天に上ろうとしたが、そのための雲も無く、泣いて命乞いをした。
和尚は怒って聞き入れなかったが、周りの僧たちが命だけは助けてやってくれないかと願うので、「それならば今後、この寺の葬儀を妨げたり、この寺や檀家に決して落雷しないと誓うなら許す」と言ったので、雷鬼は喜んで誓うと言う。「ならば、約束を違えて背いたりしないと証書を書け」と和尚が云うも、雷鬼は「私は深山に棲む獣なので、字を学んだ事が無い。証書は許してもらえないか」と言う。和尚は「それならば誓いの証に、お前の手のひらに墨を塗り、ここにある傘へ手形を押しなさい」と言って手の跡を押させたという。
今も葬儀の時はこの長柄の傘を必ず用い、六月の虫干しの時は参詣者に見せてくれる。
「裏見寒話」 巻之二 仏閣 の項より・・・「甲斐志料集成」3 p152
(残念ながら「雷の手形」は戦時中に焼失してしまったという)
*龕とは・・・①仏像を納める厨子。仏壇。②棺。棺桶。などの意味がある。この場合は、死者が納められている棺を含んだ葬儀の式台の事と思われる。
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