1234│江草の孫左衛門

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ソース場所:北杜市須玉町江草湯戸

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年)  甲斐志料刊行会 編   (裏見寒話 写本六巻五冊 野田成方)  
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月17日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概要] 昔、北杜市須玉町江草の辺りに孫左衛門(もしくは孫右衛門)と云う者がいた。若い頃は江草の樵夫たちと交流することもあったが、後には仙人のようになり不思議な力をもち深山に棲んでいた。

江草の孫左衛門    北巨摩郡江草村
昔湯戸部落に孫左衛門という人あり、或日牛を追って茅ヶ岳の麓の、屏風岩附近に草刈に行った。そこに高貴な僧侶が二人囲碁をしていたので、孫左衛門が傍に立って見ていると、僧は彼に豆を一さじ掬ってくれ、その帰宅を促した。彼は牛を追って我が家に帰ると、既に三代を経過し、知らない人ばかりなので淋しくなり、再び僧のもとへ行こうとして、村のものに「もし屏風岩に薪採りに行く時は、江草村の者だと告げろ」と言い残して去った。それからは他村の者がこの山附近に入れば不幸が生じ、江草村の者ならば無事であったという。    (口碑伝説集)

昔樵夫孫左衛門なる者、茅ヶ岳山中に入って仙人となった。年齢は幾百歳か分らぬ。山谷を馳せ、大石を転がし、鹿を追い、或は岩上に踞まる。蓬髪大眼、身長丈余草葉木皮を綴って衣とし、人語に通じなかったという。    (中巨摩郡誌)

山中に異人あり、名は孫左衛門という由。延宝の頃までは、樵夫の伐木の助力などをしたが、後には人影を避け、人家に近寄らなかった。正徳の頃、荏草の村人が山に入って草刈をしていると、異形の者が岩上に立つのを見た。髪は真白で、黒白の髯が胸まで届き、眼光が鋭い。村人は驚いて逃げようとしたが、忽ち狂風起こり、黒雲山に満ち、雷鳴耳を聾した。これは孫左衛門の睡眠の場所を知らず、草を刈って邪魔をして彼を怒らせたためで、今も時として姿を現すことがあり、村人は恐れて孫左衛門天狗と呼んでいる。      (裏見寒話)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会より

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荏草孫右衛門
甲北逸見筋荏草村の山中に異人がいた。
延宝(*1673-1681年)の頃までは村人が山に入れば どこからともなく来て樵夫に交じり斧をふるって仕事を助けた。名は孫右衛門と云う。
時々村人と会話しては「私は上州生まれで、壮年の頃父母を失い、もともと大酒呑みで放蕩して親族の注意も聞かず、妻に見放され、生国を捨て当国へ来た。その時は武田信虎の時代だった。私はもともと剛力で勇猛だったので、深山に入って猟をし、鹿・猿・狐・兎の類を食べ、村へ顔出すこともせず数年。自然と山谷を棲家として年月を送った。三十年前までは府下まで出て遊んだりしたが、近頃は人の交わりがうるさく、甲豆遠山(*甲斐、伊豆、遠州の山?甲斐や伊豆の遠い山?山中を遠くまで渡り歩いている様子)をめぐって楽しんでいる」と云う。
樵夫達が飯を与えれば喜んで食べた。その後は、時々人の目に止まる位で、人家に近寄る事もない。
正徳(*1711-1716年)の頃、荏草の村人が山で草を刈っていると、異形の者が岩の上に立って見ている。髪は真っ白で、ひげは胸までとどき、眼光らんらんとしていた。これを見た人が魂を失い気を失って倒れそうになると、突然 狂ったような風が吹き、黒雲があふれ、雷鳴が響いた。 これは、孫右衛門がぐっすりと昼寝しているのを知らずに草を刈って驚かせてしまったからだろう。
今でも時々 姿を現す時があるが、村人は恐れて孫右衛門天狗と云う。  (裏見寒話)

甲斐志料集成3(昭和7-10年)  甲斐志料刊行会 編   (裏見寒話 写本六巻五冊 野田成方)より

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