0820│Soil Color Collection(若神子新町)

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ソース場所:北杜市須玉町若神子

●取得日: 2012年
●データ公開: 2013年4月26日
●提供データ: Lab(SCI、SCE)、JPEG
●データ利用: なし
●管理番号: Soil Color No.211
●その他: デザインソースの利用に際しては、山梨県工業技術センターの承認が必要になります。

 

[参考(須玉町)]

須玉町(すたまちょう)は、山梨県北西部の北巨摩郡にあった町。
町名の由来は町内を流れる川、須玉川から。
2004年(平成16年)11月1日に須玉町を含めた北巨摩郡7町村が合併、北杜市となった。
須玉は「すたま」と読むのが正式であるが、「すだま」という読みも間違いではない。
八ヶ岳南麓地域は旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く分布する地域である。町域においては旧石器時代には掻器などの遺物が出土しているのみであるが、縄文時代には遺跡数が増加し、塩川や須田川流域には大規模集落が分布している。縄文期には人面装飾付土器や土鈴など学史上重要な遺物も出土しており、縄文後期には配石遺構も見られる。
峡北地域においては古墳の分布が希薄であるが、若神子には6世紀後半代から7世紀に築造された横穴式石室を持つ湯沢古墳群が所在する。湯沢古墳群は町域唯一の古墳として知られ、甲府盆地西部の巨摩郡において後期古墳を築造した勢力が、当地にまで勢力を及ぼしていたと考えられている。
古代の律令制下では、『和名類聚抄』に見られる巨麻郡速見郷に比定されている。平安時代後期には常陸国から源義清・清光親子が甲斐国へ土着し、『尊卑分脈』によれば清光は「逸見」の地を拠点として「逸見冠者」を称したという。また、治承4年(1180年)9月に伊豆国における源頼朝の挙兵に端を発した治承・寿永の乱においては、『吾妻鏡』同年9月15日条によれば甲斐源氏の棟梁である武田信義が信濃国伊那郡大田切郷城(長野県駒ヶ根市)に出兵して菅冠者を討ち、帰路に「逸見山」に立ち寄ったとしている。源義光は若神子に居館を構えたとする伝承があり、義清建立を伝える正覚寺も所在している。これらの伝承から、『甲斐国志』では「逸見山」は若神子を指すとしている。

 

出典:「須玉町」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年9月3日 (土) 07:40(UTC)、URL: http://ja.wikipedia.org

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