物語
Old Tale
#1289
思い川 ー護満長者関連話ー
ソース場所:南都留郡西桂町小沼 一乗寺近くに思い川の石碑(35.520758, 138.842407)
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月11日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 下暮地の護満長者が不治の、感染症に罹った。大勢いた使用人はあっという間に辞めていった。しかし、辞め戻っても病気を持ってきたのではないかと、気味悪がる人もいた。奉公人の一人に婚約中の娘がいた。ただ、この病気の質が悪いことに、潜伏期間が三年と長い病だった。それで、嫁ぎ先の家から「三年たって病気が出ないようなら迎えよう。それまでは何としても家に入れるわけにはいかない」と言われた。自分の家でも同じで、離れた所の農小屋が与えられ、一人ぼっちで三年過ごすことを約束させられた。はじめはじっと耐えていたが、次第にせめて彼の家の近くに行きたいと、夜ごと人目を忍び、家の近くまで来れば寂しさにしのび泣いていた。毎夜泣き声がするので、気が付いた家の者が「もう来ないように」と注意しようと出ていると、その姿に気付いた娘は、絶望し川へ身を投げてしまったと云う。それからも深夜になると娘のむせび泣く声が聞こえるので、人々が石碑を建立し彼女の供養をすると泣き声は聞こえなくなったと云う。
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思い川 ー護満長者関連話ー
医学の進んでいない昔は、病気に対する人々の恐怖心は大変なものであった。下暮地(西桂町)の護満長者が不治の病にかかり、その病はうつるというので、大勢いた使用人はあっという間に辞めてしまった。しかし、家にもどっても長者の病気を持ってきたのではないかと、気味悪がって寄せつけようともしない家もあった。
奉公人の一人に、小沼(西桂町)のアゲ通り沿いに近々夫となる人を持つ妙齢の娘がいた。この娘も長者の奉公人であったことを理由に宿世の契りを結んだにもかかわらず「うつってから三年もたって分かる病気のことだ。病気が出てからでは遅い。そんなことになれば、家が絶えてしまう。不びんでならないが、三年の辛抱をしてくれ。三年たって病気がでないようなら、約束通りこの家の嫁に迎えようが、それまではこの家に入れるわけにはいかない」と、夫となる人も家族も心を鬼にして家のため子孫のためにと娘が訪れることを固く拒んだ。
娘の家でも同じで、娘には離れた山際の農小屋が与えられ、家に訪れるどころか近寄ることも遠慮してくれという付き合い禁止を条件としてやっと住むことが許された。
あと三年、あと二年十ヶ月と指折り数えて、はじめのうちはじっと耐えていたが、さみしさと夫となる人への思いが募り、次第に耐え切れなくなっていった。訪れることは固く止められ、訪れようものならそれを口実に破談ともなりかねないことがわかっていても、募る思いと一人でいることの切なさに耐えかねたのであろうか、はじめのうちは三日に一日位であったがやがて毎夜、農小屋をぬけ出してはいとしい夫となる人のいるアゲ通りをかよう娘の姿が見られるようになった。娘は、夫となる人の近くへ来れば来たでいとしい思いはますます募るばかりで会うことのかなわぬ悲しさに、やがてわが家となるであろう筈の家の物陰でしのびなくばかりであった。人目につかぬように気を配っていても毎晩泣き声がするので家の者も気付き、今夜は「これから来ないように話をしよう」と娘の来るのを待っていた。家人のいるのに気付いた娘は、ひそかに見ることのできるのももうこれまでと思ったのか、家人の止める間もなく川へ身を投げて死んでしまった。
このことがあってから、川のせせらぎの音が夜更けになると、女のむせび泣きの声に閤こえるようになった。村の人たちは、身を投げた娘の思いが残っているのだろうと、娘の死を哀れんだが、むせび泣く声が次第に気味悪くなり、相談して娘の供養をしてやることにした。大勢の僧を集めて読経し、川辺に石碑を建てた。
その後、むせび泣きの水音はやんだという。そんなことがあって、いつのころからか、この川をだれいうとなく思い川とよぶようになった。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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護満長者についてはアーカイブNO.0382「長者屋敷」参照
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。