物語
Old Tale
#1500
横取の鐘
ソース場所:西八代郡市川三郷町鴨狩津向867 高前寺
●ソース元 :・土橋里木「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店 を参考にしました。
・ 市川三郷町HPより
http://www.town.ichikawamisato.yamanashi.jp/50sightsee/60festival/
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2018年05月02日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 市川三郷町鴨狩津向 高前寺の鐘は、身延山久遠寺に寄進されるはずの梵鐘でしたが、舟で富士川を運ばれていく途中、高前寺付近で舟が沈んでしまった。すると水中の鐘が高前寺に居たいと鳴くので、信心深い寄進者は、久遠寺には一言断り、鐘を高前寺に寄進する事にしたと云う。
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横取の鐘
市川三郷町鴨狩津向 高前寺の鐘は、江戸時代初期 明暦2年(1656)鋳造の梵鐘で、この鐘にまつわる昔話がある。
鰍沢町(富士川町)に丸屋という大きな呉服屋がありました。主人は、日蓮宗の信者で、自分がこの様に栄えているのは日蓮上人のおかげであると信じ、身延山久遠寺に梵鐘を寄進する事にしました。当時名工と名高く、多くの名鐘を手掛けていた府中(甲府)の沼上主水助吉次・同弥左衛門尉吉久 親子に鋳造を依頼しました。
いよいよ鐘を納める日。鐘は賑々しく富士川べりまで運ばれ、特別頑丈な川舟に積み込まれ富士川を下っていったが、高前寺近くまで来た時、ふいに舟は岩にあたり砕け沈んでしまいました。
幸い、丸屋の主人をはじめとした、舟に乗っていた人たちは仏様の御加護なのか無事助かったが、皆どうしたものかと茫然としました。船頭は真っ青になって詫びた。詫びてすむものではないと悲痛な声で詫び続けました。
すると水の中から「コーゼンジニイタイ」という悲しそうな声がしました。
それを聞いた信心深い丸屋は、「そういうことか!」と仏様の心に気付き心が晴れ渡った。「鐘が居たいと言うのだから」と高前寺へ寄進する事にしました。久遠寺には鐘が寄進出来なくなった理由を伝え、なにか別の形で寄進する事にして、高前寺に鐘楼を建てこの鐘を寄進しました。
この事を知らない人々は、身延山へ寄進するはずの鐘を、高前寺が横取したように思い、いつしか「横取の鐘」と呼ぶようになったと云います。
この鐘が久遠寺に行くはずの鐘であったかどうかはわかりませんが、大寺院に相応しいと思わすような素晴らしい鐘です。
(土橋里木「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店 を参考にしました。)
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高前寺梵鐘は、江戸初期明歴2年(1656)の鋳造で、鋳物師は、「府中(甲府)在住の沼上主水助吉次・同弥左衛門尉吉久」親子であり、甲府太田町一蓮寺他の梵鐘もこの親子が鋳造しています。形状は、通高135cm・鐘身高104cm・撞座高26cm・撞座経12cm・口径81cm・口厚8cm・駒爪高6cm・乳数100個・撞座の高比25%で南北朝時代の趣をのこしているといわれます。
(市川三郷町指定工芸 市川三郷町HPより)
http://www.town.ichikawamisato.yamanashi.jp/50sightsee/60festival/
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※ 鐘はイメージ写真です
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