物語
Old Tale
#1562
増福山 興因寺(甲府市下積翠寺町1220)
ソース場所:興因寺 甲府市下積翠寺町1220
●ソース元 :・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編 甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 (参照 2024-08-27)
●画像撮影 : 2015年10月19日
●データ公開 : 2020年08月26日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 甲府市北部 積翠寺町に興因寺と云う寺がある。ここには、江戸幕府第三代将軍 徳川家光 の頃、後陽成天皇の第八皇子 良純入道親王が配流されてきて13年間に渡り幽閉された。理由については酒乱だったとか、色々云われているが、門跡の地位に就いてはみたがそれが飾り物であると云った不満や、江戸幕府が朝廷や寺院への介入する事に非難の言葉を発した。といった所が主だった理由のようで、結果、甲斐の国には16年の長きに渡って蟄居させられました。 良純親王にゆかりの品や、言い伝えが残っています。
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増福山 興因寺 積翠寺町 曹洞定法幢
八宮 良純親王 が左遷され、十三年間当寺に閉居した。八宮が建立した 狐老明神 の社がある。
開山より二十四代目の住職を 恵活和尚と言う。
恵活禅師 随身の白狐がいて、和尚が亡くなった時、同時にこの白狐も死んだので、骸を箱に入れて、今も本堂に収めてある。
境内に 葡萄が崎 という所がある。府下が一望できる所で、信玄の物見、軍用の庭と言われている。
「裏見寒話」 巻之二 寺院 の項より
[裏見寒話とは、野田成方が甲府勤番士として在任していた享保九年~宝暦三年(1724-1753)までの30年間に見聞きしたり、調べた甲斐の国の地理、風俗、言い伝えなどをまとめたものです。只々聞いたものを記すだけでなく、良く考察されており、当時の様子や、一般の人達にとって常識だった歴史上の事柄を知ることが出来る。]
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参道沿いには紫陽花が多くみられ、花の盛りの6月には参道を色とりどりに染めています。
また、境内には 柳沢吉保 の城代家老として活躍した 柳沢権太夫保格 夫妻の墓があります。
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。