


物語
Old Tale
#1166
灰土地蔵
ソース場所:南巨摩郡身延町和田 延命地蔵尊
●ソース元 :・ 『ふるさと身延 第2集』 (身延町福祉の町づくり推進協議会 1983)
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年01月05日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 昔、和田がまだ石ころがゴロゴロした富士川の河原の一部だった頃、この地を何とかして耕地にしたいと悪戦苦闘していた人々がいた。しかし、なかなか進まないので、平馬という男は富士の裾野で開墾を始めた。ある時、平馬は富士の裾野の灰土を持って和田へ帰ってきた。土をお地蔵さんの前にお供えし、家へ帰って久しぶりの家族だんらんを楽しんだ。その晩、大風が吹き、一夜明けると石ころだらけだった和田原一面に灰土が散布され、分厚く客土に覆われ、見事な耕地となっていた。村人たちはお地蔵様の恩に感謝し、灰土地蔵と呼び良くお祀りしている。
昔、和田の和田原(わだっぱら)がまだ富士川の河原であった頃、和田平馬(へいま)という者が近くの峰に住み、この河原を何とかして耕地に拓きたいと苦心していた。
ある夜、平馬は富士の裾野の開拓を夢に見て急に思い立ち、和田原の方は後回しにし、先ず富士の裾野の開墾を始めた。
しばらくたったある日のこと、家族のことが心配になり、裾野の灰土を藤袋に入れてかつぎ、一晩泊まりで和田に帰って来た。
和田の地蔵様の前まで来るとそこで一休みし、藤袋の土を地蔵様にお供えして我が家に戻り、家族と楽しく語り合って寝た。
その夜、にわかに大風が吹いた。翌朝、平馬は起きてみて驚いた。家の庭先から和田原一帯に灰土が散布され、今まで一面に石ころだった河原は、なんと60センチメートル厚みの客土に覆われ、見事な耕地と化ていた。
その後、村人は深く地蔵様の恩に感謝し、灰土地蔵と呼んで毎年盛大な祭りを催し、盆踊りやすもう等を奉納した。
また、それから和田原の人達は、藤づるをもったいないと言って現在までも農作業に使うことを避けてきたという。
『ふるさと身延 第2集』 (身延町福祉の町づくり推進協議会 1983)
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