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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、 産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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物語

Old Tale

#1150

清水尻の上人屋敷

ソース場所:大月市富浜町鳥沢2117 円福寺・大月市富浜町鳥沢 白道之塔


●ソース元 :
●画像撮影 : 2018年07月02日
●データ公開: 2016年11月18日
●提供データ: テキストデータ、jpeg
●データ利用: なし
●その他  : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概要] 「微笑仏」で有名な木喰行道上人の弟子で、木喰上人と共に各地を旅しながら造仏を行い、同様な「微笑仏」を残した木食白道が晩年を過ごした地である。

鳥沢駅の北に扇山がある。その南麓に清水尻の上人屋敷とよばれる場所があった。昔ここにちいさなお堂があり、一人の僧が厳しい木食修行をしながら、庶民に寄り添う仏像彫刻していた。「微笑仏」で有名な木喰行道上人の弟子で、木喰上人と共に各地を旅しながら造仏を行い、同様な「微笑仏」を残した木食白道が晩年を過ごした地である。
木食白道は、現在の山梨県塩山市で生まれた江戸時代終わりごろの僧です。かれは、肉類や穀物を食べず、草や木の根を食べて生活する「木食(もくじき)」という修行を積みながら、生涯をかけて日本の各地を旅します。その旅先では、民衆の要望に応えて、平和祈願や病気回復のまじないといった布教活動や、井戸を掘るなどといった慈善事業を行ないます。そして各地で、それらの祈りをこめた木彫りの仏像である子安地蔵(こやすじぞう)や観音菩薩(かんのんぼさつ)、恵比寿大黒天(えびすだいこくてん)などを刻み、また七福神の版画や書などをつくって人々に与えます。かれの行ないは、江戸時代の封建制度という厳しい社会条件の中で、懸命に生きている庶民に、広く受け入れられました。その残された仏像などの資料は、すべてやさしい微笑みをたたえた「微笑仏(びしょうぶつ)」で、当時の庶民の心を安らげると同時に、今も各地で大切にされています。
白道は晩年の20数年間を、現在の山梨県大月市で過ごします。

上野原市には寛政9年(1797)の「木食白道上人加持水井碑」がというものがあります。加持祈祷を行うかたわら地域の家々に微笑仏を刻み渡した。

清水尻の上人屋敷に入ってからは以下のように過ごしていたことがわかっています。

享和 4年(1804)(文化元年)50歳  新井地蔵堂(現在の東山梨郡牧丘町)にある「子安地蔵尊像」を刻む。このころより鳥沢(現在の大月市)に移り、清水入の上人屋敷に留まり、郡内を中心に多くの仏像を刻む。この頃も多摩地方を巡業し多くの作品を残している。

文化 5年(1808)54歳  鳥沢の円福寺過去帳によると、師である行道が甲府の教安寺に七観音を刻み奉納した後、鳥沢へ来て文化七年六月に亡くなるまで、白道と同居していた可能性がある。(円福寺の過去帳には行道の法名などが記されている)

文化10年(1813)59歳 下於曽(現在の塩山市)正念寺の子安地蔵尊を刻む。

文政8年(1825)71歳  十二月二十四日、上人屋敷において入定。
文政 「八酉年 木食大秀白道比丘 十二月廿四日」と墓石には記されている。

この墓石はゴルフ場建設に際し、鳥沢の円福寺内に移されている。今は上人屋敷跡に程近い山道に白道之塔(35.618670,139.006094)が立っている。

このデザインソースに関連する場所

大月市富浜町鳥沢2117 円福寺

Old Tale
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。