物語
Old Tale
#1176
お茶壺蔵と、その道中
ソース場所:都留市谷村 勝山城址
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年01月05日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] ずいずいずっころばし♬ で歌われる 御茶壷道中 ですが、宇治から江戸までお茶を運ぶのだが、運ばれるのは抹茶の原料である碾茶(テンチャ)です。碾茶の製法として、まず収穫前の茶葉はある一定期間覆いをして渋み成分の「タンニン」が増えず、うまみ成分である「テアニン」を増やすように生育する。さらに、摘んでから五か月くらい低温保存して熟成しさらに「テアニン」を増やす。元禄時代までは、宇治を出たお茶は、茶壷に詰められ、中山道を通り、途中、涼しい甲州谷村に茶壷をいったん保管して夏を過ごし熟成し、それから江戸に運んだ事が多かったと云う。ちなみに、茶壷と一口でいうが、中は将軍への奉納品ではない茶葉で満たし温度変化や調湿、振動が伝わらないようにし、その中に、そっと奉納品の碾茶を納めたという。また、途中茶壷を開けられたりしないように、おいそれとは真似できないような特殊な結び方で茶壷を封印していました。 当時の庶民は御茶壷道中に畏怖の念を抱き、御茶壷の接近を知ると戸をピッシャンと閉め家の中に閉じこもり、じっと通り過ぎるのを待ったと云います。
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お茶壷蔵と、その道中
都留市谷村町を流れる、桂川の対岸に、城山と呼ばれる勝山城跡があります。
緑に包まれたなだらかな山頂には、城山東照宮の祠があり、桜の名所として春のお花見のころは、家族づれで賑わう市民の憩いの場所となっています。
頂上北面の突き出た平坦地は、城主秋元氏時代のお茶壷蔵のあったところといわれています。
徳川将軍家御用のお茶を、宇治から中仙道を通り甲州街道を経て、江戸に運ばれる途中この勝山城で夏の間富士山の北風をあて、秋も涼しくなってから、江戸にはこばれた といいます。お茶壷道中十万石の大名の格式で、「下に、下に」と掛け声をかけながら運ばれたそうです。
道中の宿々では、名主や町年寄が羽織はかまの正装で土下座で迎えられたということも伝えられています。子どもたちもこのお茶壷道中の当日は厄日で、戸外で遊ぶことが禁じられ、家の中にとじこめられてしまいました。そのころの童唄に、
♪ ずいずいずっころばし ごま味噌ずい
茶壷におわれて
トッピンシャン(戸をピッシャンか)
ぬけたらどんどこしょ 俵のねずみが
米くってチュウ チュウ チュウ チュウ
お父さんがよんでもおかさんがよんでも
いきっこなあしよ ♪
この童唄からも茶壷行列の物々しさに追われる、当時の子どもたちの姿が想像されます。
この唄は都留だけでなく、各道筋の子供の遊戯の中に残っています。
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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