物語
Old Tale
#1208
御姫淵(武田氏の悲劇 甲州市大和町田野)
ソース場所:甲州市大和町田野 景徳院近くの姫ヶ淵
●ソース元 :・ 現地説明碑
●画像撮影 : 2017年03月11日
●データ公開 : 2017年03月16日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 織田、徳川軍による甲州征伐で、新府城を捨て敗走した武田勝頼・信勝・北条夫人とその主従は、今の甲州市大和町田野付近に追い詰められた。織田軍3000-4000人に対し、勝頼主従は女性を含めても100にも満たなかったと伝えられている。勝頼主従は信玄の遺言に従い信勝に甲斐武田氏嫡流の家督相続の儀である「鎧着の式」を行い、自刃したと伝わる。 家臣たちは勝頼親子に最後の時間を作るため奮戦し散っていった。北条夫人の侍女達は日川の淵に身を投げ自身の身を処したと伝わる。
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姫ヶ淵の由来
天正十年(一五八二年)三月十一日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍の攻撃を受け激戦の末 家臣と共に悲惨な最期をとげ、新羅三郎義光公以来 甲斐の守護として連綿と続いた武田源氏はその歴史を閉じた。
その折 勝頼公夫人北条氏の侍女十六人は 若い生命を日川の淵に身を投じて殉死したと伝承され、後世の者はこの淵を 姫ヶ淵 と言い伝えているが、現在の日川は上流で発電用水として取水しているために水量が少なくその様相を変えている。
この石碑は 北条夫人を含めた十七名を表現したもので、侍女らを顕彰し慰霊するものであり、山梨の歴史文化公園に指定されたを期に建立したものである。
昭和六十二年三月 大和村
現地説明碑より
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