物語
Old Tale
#1229
建長寺のむじな僧(道志村、久保)
ソース場所:道志村久保
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月16日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 鎌倉 建長寺の三門(山門)は、江戸時代の安永4年(1775)に、第201世住職の万拙碩誼和尚の尽力で再建したものです。建長寺周辺に住む狸たちは、尊敬する和尚さんが工事のためのお金を懸命に集める様子に心を動かされ、和尚さんに化けて各地へ托鉢に向かい、集めたお金などを山門前にどっさり置いて、和尚さんに喜ばれたという話があります。 狸たちは関東一円を托鉢してまわったようで、各地に狸僧の話が残ります。この工事は大掛かりで、沢山のお金がかかったようで、県内の隅々まで托鉢僧が来たのでしょう。このアーカイブの中でも、No.393「建長寺の狸僧」、No.0550「和尚さんに化けたムジナ」、No.1215「むじなになった坊さん」、No.1230「建長寺の狸僧」など沢山のお話が伝わっています。
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建長寺のむじな僧
鎌倉の名刹 建長寺に、よわい千年を重ねた大ムジナがいた。寺の床下をねぐらとしていたので、いつしか経も読めるし、絵や字も書けるし、僧としての心得も一通りはできるようになっていた。
もともとムジナだから、人に化けるのは得意であったが、実際に人に化けて人をたぷらかすようなことはしたことはなかった。だが一度は腕だめしに己の化けぶりがどれ程のものかためしてみたかった。どうせ化けるなら建長寺の管長に化けて諸国を歩き、思うさま人を化かし、いい思いをしてみたいと考えた。
入念に行動計画をたて準備万端ととのえたムジナは、床下から僧たちに気づかれぬように抜け出すと本堂に入り、見事に建長寺の管長に化けると、本堂の入口を押しあけて庭に降り立った。庭そうじをしている僧たちはムジナ管長を見ても深くおじぎをするだけで誰も気付く者はなかった。管長になり切ったと知ったムジナは建長寺の正門から堂々と外に出てみた。入りたての修行僧の一人が、管長さまがお供なしで外出されてはと、驚いてついてきた。管長になりきったムジナは、修行僧を先触れに使った。
ムジナにとって犬は大敵である。そこで修行僧に、先に村名主のところへ行き「建長寺さまがお通りになる。建長寺さまは犬がお嫌いだから犬をつないでおくように」と村中へ触れを出しておくよう頼んでおくことを命じた。
先触れのおかげで、出迎えは受けるし、歓待されるしで、旅は快適そのものであった。特に道志村久保の大屋では、上げ膳据え膳の歓待で居心地満点、とう留一カ月に及んだ。ーだが、浴湯では特に人を避けるし、入浴はあまりにも短時間だし、飛まつで天井までぬらすし、食事は法衣でかくすように食べるし、夜半に外へ出て暗やみに消えたかと思うといつの間にか部屋にいたりの奇行が多いので話題となった。人のうわさが大きくなるにつれ、ムジナも危険を感じていとまをとることにしたが、長とう留の礼ににと料紙を求めて百人一首の書を残した。
両手に筆を執り、右文字と左文字とで書き表したもので、奇態な書体ながら、見ごたえのある素晴らしさで、さすが建長寺さまだと感心させられる書であった。
ムジナ僧は五十二枚を書いたところで急にやめ、そそくさと立ち去ったが、国中へ行っても建長寺管長としての旅を続け、旧家を訪ねて書や絵を残した。
次々と人を化かせることに自信を得たムジナは坊様までもだましてみる気になり、青木(韮崎市)の常光寺をおとずれて杉戸へ松の絵を残したが、坊様さえも建長寺管長はムジナだと見やぶることはできなかったという。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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建長寺の山門の再建(江戸時代)のため、長年建長寺に住み着いた狸がお金を集めて廻ったが、籠で移動中、犬に噛み殺された。という「狸の三門」という話がある。
この話から、県内各地で「建長寺狸(又は貉)僧」が訪れたと言い伝えられているようだ。
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