1580│常説寺の白輿(甲斐市吉沢714)

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ソース場所:常説寺 甲斐市吉沢714

●ソース元 :・ 境内説明板
●画像撮影  : 年月日
●データ公開 : 2021年05月10日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

【概要】

常説寺の白輿

国指定重要文化財 『白輿』
・    指定年月日     昭和二十四年(1949)五月三十日
・    所 在 地     甲斐市吉沢七一四

一般に白輿とは、装飾を施さない素木のままの板輿のことをいう。
「甲斐国志」に、承久三年(1221)に起ったいわゆる承久の乱の際に、佐渡へ配流となった順徳上皇が、越後寺泊より祈願のため甲斐御岳の金桜神社へ勅使を遣わし奉幣させた記載がある、その文中に、「此の地に輿を止め、登山せり」とあることから、この白輿は、奉幣の際に幣帛を乗せた輿と考えられている。
輿の制作年代を明確に示す資料はないが、形式や輿の寸法の比率などから鎌倉時代の特徴が認められ、部材には、ヒノキとツガの良質材が使用されている。
輿の屋形部分の寸法は、幅 八九 センチメートル、高さ 一・〇二 メートル、奥行 九五 センチメートル、轅[ナガエ]の長さは 三・四八 メートルを測る。屋根は切妻造りで、輿すべてが板張りで造られている。
素木のままの姿など、『白輿』と呼ばれる輿の典型的な形式をとっている。

・           *奉幣  神に物を奉ること。   *幣帛  神に奉る物の総称。

・ 平成十二年三月二十五日
・                              山梨県教育委員会
・                              甲斐市教育委員会
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承久の乱とは
承久三年(1221)、後鳥羽上皇を中心とした朝廷と、北条義時を中心とした幕府軍が戦った乱のことです。
治承・寿永の乱(一般的に「源平合戦」などと呼ばれる事もある)以降、朝廷にも勢力を伸ばしていた平氏が滅び鎌倉幕府の力が強くなっていった。これにより、東日本を幕府が、西日本を朝廷が、というように二つの勢力が日本を支配するような形になってきました。朝廷に年貢を納めない武士と朝廷が衝突する事もありました。
そんな中、幕府の三代目将軍 源実朝 が、二代目将軍 源頼家 の息子 公暁 により暗殺されてしまいます。これにより、頼朝の子供はいなくなり次なる将軍に就ける人物が居なくなったので幕府は混乱します。幕府の執権 北条義時 は、後鳥羽上皇の息子を「お飾り」として将軍に迎えようと、上皇に依頼しますが、上皇はこれを拒否。
承久三年五月、「幕府が混乱の中にある今こそが朝廷が実権を取り戻す好機」と後鳥羽上皇は「北条義時を倒すように」と倒した者にとても好条件のついた院宣を出しました。しかし、上皇の飛脚が関東に着く数時間前に、京で最初に血祭りに上げられた 伊賀光季 からの伝令が鎌倉に到着しました。伊賀光季 からの伝令といい上皇からの伝令といい、当時としては異例と思える程の速さで、鎌倉まで到着したのですが、この数時間の差と、尼将軍と呼ばれた 二品 政子 の役者ぶりが、幕府側に味方し、関東の武士達を結束させました。
政子は、「故 頼朝様の恩は山より高く、海より深い。」心を一つにして、鎌倉幕府を開いた源頼朝への恩を返すのは今だ!と 伊賀光季 の伝令が着くとすぐに、政子の御所に御家人達を集め演説しました。
一方の後鳥羽上皇は、将軍が決まらず混乱の中にいる幕府の関東武士達が、一致団結して朝廷に向かってくるとは思っていなかったので、軍備が間に合わず、わずか一か月程で京都は幕府軍に占領され、朝廷側は敗北しました。この敗北により、西日本側に多くあった貴族たちの所領は没収され、幕府方の武士達に分け与えられ、幕府の支配が西日本にも強く及ぶようになり、鎌倉幕府の力がさらに強くなっていきました。また、京には新たに 六波羅探題 が設けられ、幕府側が朝廷の監視を行うようになりました。
乱の首謀者である 後鳥羽上皇 は隠岐に、その息子で倒幕計画に積極的に参画した 順徳上皇 は佐渡にそれぞれ配流されました。文歴二年(1235)春頃には摂政 九条道家 が 後鳥羽上皇 と 順徳上皇 の還京を提案しましたが、北条氏 はそれを許さず、後鳥羽院 は延応元年(1239)隠岐にて。順徳院 は仁治三年(1242)九月十二日に佐渡で崩御しました。 順徳上皇 については、自らの帰京と、子孫への皇位継承に対する幕府の強い拒絶の意思を知り、絶食をする事により自殺したと言われています。

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甲斐市吉沢714 常説寺
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