物語
Old Tale
#1294
弘法奇跡③ 弘法さまの万年ばた
ソース場所:忍野村に伝わるお話
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月15日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 昔、弘法大師が仏教を伝えるため各地を歩いていた。山道で手を怪我をした大師様は、忍野村へ入ると早速立派な家を訪ね、訪台にする布を所望した。その家ではお婆さんが機を織っていたが、「この布はお金にしたくて織っているので、どうしても欲しければお金を持ってこい」と大師様を追い返した。その後、どうしたことか機の具合が悪くなったり、糸が切れたりと散々な目に遭った。 次に大師様は貧しい家を訪ね、同じように布を所望すると、心優しい娘が出てきて、「私の家には汚らしい布しかありませんが、ちょうど今、織っている布があるので」と、布を切って包帯にし傷の手当てをした。その後、娘が機を織るといくら織ってもたて糸もよこ糸も尽きることがないので弘法さまの万年ばたと呼ばれるようになった。そして、娘の家は栄えたと云う。
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弘法奇跡(三) 弘法さまの万年ぱた
都留市の朝日曽雌では芯のある芋しかとれぬようにし、与縄で水を涸らし、井倉では水を湧かせ、落合では障子岩を開き、菅野では、箸立ての水の木を育てるなど数々の奇跡を残し、仏の力の威大さを示して布教の旅を続けた弘法さまは、忍野村へやってきた。
山道を歩いていてちょっとばかり怪我をしていたので、村へ入るとさっそく家を訪れた。弘法様が最初に訪れたのは立派な家で、お婆さんが機を織っていた。弘法様は、「指にけがをしておるので、少しばかり布でもいただけまいか」と言った。見すぼらしい身なりの弘坊主まをしげしげと見たお婆さんは「あいにくきれはないね」と答えた。
弘法さまは、「いま織っているはたがあるではないか、それをわけてもらえまいか」と重ねて言うと「何を言うかこの乞食坊主。これは大切な売り物。お金がほしくて織っているのだ。どうでもほしけりゃ金でも持って出なおしてこい」と言って追い返した。
弘法さまが去ったあと、機の具合が悪くなったり、管糸が切れてばかりいたり、ネズミにタテ糸をくわれたりで、仕事をしていても能率はあがらず、せっかくできてもキズばたばかりで、だんだん左前となり、これが弘法さまの法力だと知った時はあとのまつりであった。
一方、つづけて訪れた貧しい家では、心のやさしい娘がいて「私の家ではきたならしい身につけた布ぐらいしかありませんので」といいながらいま識っている布を切って、親切にほうたいを巻き傷の手当てをしてくれた。
僧は、「あなたはみ仏のような方だ。あなたにはみ仏のご加護がありますように」と、娘に礼を述べ、門口から奥の方へ向って合掌してお経を誦んだ後、智拳印やら三世印を結んで「オンパラダトパン、オンパラダトパンなむ大日如来様、大日如来様のお力をもってこの家に福をもたらせたまえ」と、陀羅尼(だらに)の呪文を唱えて退ち去られた。
乞食のような身なりをした僧は高野山の高僧空海〈弘法)さまであったと間もなく知れたが、そのことがあったのち、娘が機を織るといくら織ってもたて糸もよこ糸も尽きることがないので弘法さまの万年ばたと呼ばれるようになった。仕事の能率があがり、傷一つないはたは高値で飛ぶように売れたので、家は次第に隆盛となり長者となって栄えた。
世間の人は「心の優しさの大切なことを教えられたのだ」と弘法さまをたたえ、真言宗の信者となる者が相次いだという。
弘法さまの万年ばたは、娘が年老いて死を迎えると、機も寿命を迎えたとみえ、使えぬようになってしまったという。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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