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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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The “YAMANASHI DESIGN ARCHIVE” is a project in Yamanashi prefecture that distributes the design sources of shapes and patterns of fine goods that have been passed down in Yamanashi prefecture since the past, colors from nature, old tales and legends that have been passed down to the present, and written material that has existed in the region since ancient times through a digital format for industrial use. Please make use of these sources for product development, education and research, service development, etc.

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Old Tale

#1539

迎冨士浅間神社

ソース場所:笛吹市御坂町金川原603 迎冨士浅間神社


●ソース元 :・ 現地 由緒書より
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2018年09月21日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概要] この神社の謂れとして、この地が毎年河川の氾濫に苦しんでいたので、国司が水防のため本殿を塚の上に一段高く築いて富士山の分霊を鎮祭した。その後、武田信玄が娘の眼病の平癒を願い富士浅間に祈った所、たちまち治癒したので信玄公は喜び大額を奉納しようと一行は富士浅間に向かった。とても暑い日だったので、一行はここまで来て休憩した。すると信玄公はそこに富士浅間の牛頭天王の護符を発見した。「これは富士浅間が牛王を遣わして、我らをここまで迎えに来てくれたのだ」と喜び、ここに富士浅間を勧請するように云って、大額をここに奉納し戻って行ったという言い伝えがある。

 

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迎冨士浅間神社御由緒

一 神社の所在地  東八代郡御坂町金川原字八反久保六百三番地

二 神社の名称
・  イ 仙元大菩薩    永正年間「室町時代 百三代 後土御門天皇 の時」
・  ロ 迎冨士浅間大神  文禄年間「室町末期 百六代 正親町天皇 の時」
・  ハ 迎冨士浅間神社  現在称す。

三 御祭神
・  木花開耶姫命[コノハナサクヤヒメノミコト]  本、迎冨士浅間神社は御土御門天皇の永正元年四月八日駿河国富士郡仙元大菩薩より瓊々杵命[ニニギノミコト]、木花開耶姫命、大山祇命[オオヤマツミノミコト]の御三体を遷祀せるものなり。当時、本部落は連年暴水の氾濫す所となり 一般人民の困幣 実に名状すべからず。適々本部落の有志 新兵衛 他四名と共に 将来金川暴水の害を除くには、一ツに神の御加護を得るの外なくを信ずる余り此の挙に出たるものの如し、よって後柏原天皇の文亀(元亀か?)元年六月十五日(室町末期)木花開耶姫命を現在地に奉遷し瓊々杵命、大山祇命 二体に依り奉祀しせり。

四 御神徳
・  御祭神 木花開耶姫命は、大山祇神の息女にして、亦の御名を 神吾田鹿葦津姫[カミアガタカアシヅヒメノミコト] 又は 桜大刀自神[サクラオオトジノミコト]と申す。天孫 瓊々杵命 の妃として皇室の始祖大御母と仰ぎ奉る天神なり。
大神は木の花の咲き映ゆる如く艶麗優美の御容姿にして而も孝順、謙譲の美徳をもって天孫に御仕へして貞節 至純 国土経営に尽くされし内助の功 極めて大にして今日の日本の基礎を築き給ひし功徳は 永く日本女性の模範と敬仰し奉らる。古来 山火鎮護、農、蚕、酒造の守護神、又、婚姻、子授、安産、子育ての霊徳神として崇敬極めて厚し。

五 神階勲等 及び 旧神格不明

六 神殿
・ 霊元天皇 延宝二年(江戸時代初期)本社拝殿 並びに数抱えの榎木消失後に 東山天皇(百十三代)の元禄三年庚牛の二月建築なる。即ち 石積 高さ一丈三尺の段に積み上げ、且つ其の上に 二間に三間の拝殿を設け、材板桧等にして草葺、石段に接し、鳥居有り欅作り朱塗りにて高さ一丈五尺。

七 神功
・ 文禄七年六月十五日(正親町天皇百六代)大祭挙行せり適々 国主 武田信玄公 御休憩せられる。
某御令嬢 大眼病に苦しみ、公 之を憂慮せる余り 都留郡 富士仙元大菩薩 に眼疾平癒の心願を懸けられしが、神功 空しからず眼疾 忽ちに全癒せられる。 公 之を大いに喜び、一に 仙元大菩薩 の賜として自ら 長さ 一尺二寸 巾 一尺 の額面を掲げ以て奉納せんとする。 時 正に盛夏に属し、大熱赫々 依りて、本社に御休息せられる。 本社の由来を尋ね有り 適々 当社の境内に三抱へに余る榎木に牛王[ゴオウ]なる板札懸かりあり、公 之を熱視する事漸し、而して 仙元大菩薩は牛王をして吾を之まで迎へしたるに あらざる無きかと、終に擭へ来たれる御額面を当社に奉納せられる。
「眠れば 富士の迎で 狩ノ原 願のことは 神のまにまに」 の歌を御神前に供し、且つ 七石五斗 の黒印を附与せられる。因て原来(迎冨士浅間神社)と改称す。

八 祭祀行事
・ 昔時不明。
・ 現在。 昭和初期までは春秋二回の大祭は社日に行はれ、春は豊作と家内安全を祈願し、秋は収穫の感謝を御報告申し上げました。 現在は春の大祭は三月二十九日に前記の外、建築・結婚・出産・入進学・就職の報告等、出世・成功・安全の祈願・厄除祈願・還暦・古希・喜寿・米寿・白寿・銀婚・金婚等御祝の報告祈願、祈願をなされた方の御礼の御報告の「祈願祭」と湯立の儀式を行います。
秋大祭は十月三日、秋の大祭も前期の外に子供神輿を氏子の皆様の応援を得て部落中を渡御す。

九 神社に関係ある地名
・ 神社西南約百米の処に御手洗水あり、然し現在は、水枯れて其のあとを残すのみ。

十 宝物
・ 前記七項に記載ある 長さ 一尺二寸 額面は口碑に存するのみ。

十一 本社と境内の摂・末社の関係
・ 境内向かって左の円い石、阿夫利神社 猿田彦命 又 石段左の祠。 大山祇命のみ社 末社せり。 又 向かって右の連祀せるは、伊勢原神明社を昭和二十年代に遷祀し末社せり。

・                      昭和六十三年十一月三日

現地由緒書より
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迎冨士浅間神社は、古くから甲斐と駿河、相模などを繋いでいた鎌倉街道沿いにあります。迎冨士浅間神社の向かいには「立正大師(日蓮)御休憩」の石碑、さらに一キロ程御坂峠寄りには「日蓮大菩薩 御腰懸石」も残され、此の街道沿いを山梨縁の歴史的人物たちが行き交った様子が慕ばれます。

このデザインソースに関連する場所

笛吹市御坂町金川原603 迎冨士浅間神社

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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。