1559│蓬沢(甲府市蓬沢)

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ソース場所:文殊神社  甲府市寿町9-517

●ソース元 :・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年)  甲斐志料刊行会 編
       ・ 現地石碑
●画像撮影  : 年月日
●データ公開 : 2020年08月25日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

蓬沢
昔は大きな湖水があって、耕作には適さず、村人は漁で生計を立てていた。その頃は「蓬沢鮒」と言って江戸まで聞こえていた。 夏や秋に漁師の舟を借りて出てみれば、その景色は絶景であったという。その頃、桜井孫兵衛という宰相がいた。明智高才で、この湖水を濁川へ切り落とし、その跡を田畑にした。なので今は農業が出来る土地になった。
村をあげて、この桜井氏を神に祀り、今でも信仰している。
蓬沢 湖水の跡として亀の池がある。鮒もいるが小さいので釣る人はいない。

「裏見寒話」巻之二 漁・釣の項より

【裏見寒話とは、野田成方が甲府勤番士として在任していた享保九年~宝暦三年(1724-1753)までの30年間に見聞きしたり、調べた甲斐の国の地理、風俗、言い伝えなどをまとめたものです。只々聞いたものを記すだけでなく、良く考察されており、当時の様子や、一般の人達にとって常識だった歴史上の事柄を知ることが出来る。】
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元禄八年(1695年八月)、山口素堂【甲斐の出身、一流の治水工事技術者にして、有名な俳人でもある。目には青葉山時鳥初鰹の句が知られている】が、身延山詣での帰り、旧知の甲府代官 桜井孫兵衛政能 と会う。
甲府代官一年目の桜井政能は、毎年のように濁川が氾濫しているのをどうにかしたいと思っていたので、山口に相談。山口も政能の熱意に打たれ協力を快諾した。技術者の協力が得られたことで、山口は工事の承諾を得るため、命がけで江戸に出向いたという。
彼らの成果を後世に伝えるために、明治33年8月、甲府市内の有志によって寿町の文殊神社に「素堂治水碑」がたてられた。戦火のために割れてしまったのか、この碑は修理の跡も痛々しく文殊神社内に今もたっています。

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甲府市蓬沢の濁川脇には庄塚碑がたっている。これは、桜井孫兵衛の開削事業をたたえて、元文三年(1738年)たてられた。

 

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文殊神社  甲府市寿町9-517
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