1537│紙明宮[紙の神様]
ソース場所:市川三郷町市川大門2660 八乙女神社に合祀されている
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2018年09月07日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要]
紙明宮[紙の神様]
八幡神社の西に紙明宮という石祠がある。その地を昔から甚左屋敷と呼び、製紙の祖 甚左衛門を祀ったものとされ、漉紙衆が厚く尊崇してきたところである。甚左衛門は甲斐源氏義清の家臣で、製紙の法に熟練し、里人にこれを教えたと伝えている。 (西八代郡誌)
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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八幡社と神明社
・ 市川大門字八幡にあり、創建年月は不祥ですが、昔時は広い社領を持ち、八幡東、八幡西、大門、若宮など八幡社に関わる地名があり、甲斐源氏と関わりが深く、樫の見事な社叢に囲まれ、祭神は、仲哀天皇、応神天皇、玉依姫命の三座で、祭典は毎年11月3日で、境内には9社が合祀されています。
参道近くの古井戸は、市川團十郎 の曽祖父 堀越十郎家宜の産湯の井戸といわれています。社殿西方の神明社(紙明社)は、紙の町 市川大門町の紙神として応和元年(961)に平塩に創建したものを天明年間(1781~1788)に、座光寺南屏為祥 等によって現在地に移され、神明社となりました。寛政8年(1796)3月の大火で焼失した社殿を、翌年11月に再建し今に至っています。
祭典は毎年7月20日で、昔は ”神明の辻” での 角力 や 花火の打ち上げ でずいぶんにぎわったものです。
神明社 境内の八乙女神社は、旧 市川保育園 建設のため、昭和23年11月に神殿と拝殿が移築されたものです。
・ 山梨県・市川三郷町(現地 説明板より)