物語
Old Tale
#1572
栗原の亡魂
ソース場所:栗原氏館跡案内板 山梨市下栗原1351
●ソース元 :・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編 ・甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 (参照 2024-08-27・
・ 現地説明板
●画像撮影 : 年月日
●データ公開 : 2020年08月28日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
【概要】 室町時代、甲斐源氏武田氏が統一されるまでの混沌とした時代、武田信昌の二人の子 信縄と油川信恵 兄弟の間で家督争いが始まった、信縄の子 武田信虎の時代までその抗争は続き、永正五年(1508年)信恵方が滅び武田氏が統一された。信恵の家臣だった栗原氏にまつわる悲しい怪談がある。
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栗原の亡魂
甲東 栗原に古府中 大泉寺の末寺である一禅寺という寺がある。
先年 享保の頃、住職が還俗し、後任として本寺から住職がやって来た。
その夜、庫裡の梁上から火の玉が出て、寺中を飛び回り、本堂内が鳴動して本尊が壇下に落ちたりした。
怪異が続いたので檀家の人々は新任の僧のせいではないだろうかと疑ったりしたが、住職は少しも騒がず、「ずっと何年も異変の無かったこの寺に、私が来てから様々な怪異が有るのは不思議ではあるが、怪異の為に命を失うような事があっても、私は逃げるべきではない」と恐れなかった。
この寺に数代に渡って仕えている男がいた。この怪異を不思議に思い、甘利村の不動尊が霊験あらたかと聞いて、不動の託宣を伺ってくると『寺内の怪異は狐狸、魍魎の仕業ではない。その寺に、生きている者を葬った事があり、その亡魂が助けて欲しいと願っている。今までの住僧は力がなかったが、今度の住職は学も徳もある人なので、何とかしてもらいたくて、本尊脇の観音に憑いてこの様な事をしている。』と言う。さっそく寺に帰り、その事を報告すると和尚は「もともと画像の不動に霊威はあるだろうか、俗談の託宣を信ずるには足りません」と、それよりはと七昼夜の座禅を始めた。すると三日目の巳の刻に外から障子を開けて、十八・九の美しい男子と、十五・六の美しい娘が手に手を取って和尚の前を歩く。 和尚が「あなたたちは何者ですか?」と問うと、二人は「私達は近頃 寺内に怪異をなした亡者の霊魂です。本当に和尚の徳を慕って、助けてもらいたいと障りをなしました。」と涙する。和尚は「あなたたちは、どのような事をして地獄に落ちるような罪に捕らわれたのですか?」と聞くと、美しい娘が「恥ずかしながら、私は甲斐武田家の家臣で、この辺りを領した、栗原左衛門の娘です。この人は、父が都に登った時、首領の男色の相手として伴って来た従者なのですが、私達はふとした事でなれそめて、恋に落ちてしまいました。二人がこっそり会っているのが父の耳に入って、父はたいそう怒って、厚さ二寸の板で箱を作り、私達をその中に生きたまま押し込み、蛇やヤスデや毒虫も入れ、蓋をくぎ付けにして、この寺の乾の隅に埋められました。その後、皆から忘れられ、ずっと浮かぶ事なく無間の底に沈み続けておりました。和尚、お願いです。私達を救って下さい。」わっと泣くと思うと、ふっとその姿を消し去った。
和尚は座禅の床を下り、寺内の乾の隅を見ると、林の中にこんもりと土が高くなっている所があった。
それより、七日間の施餓鬼を執り行い、満願の日に、その場所を掘ってみると一つの箱があった。蓋を外してみると、美女は紅の衣、美童は白い衣を着ていました。そして、二人の顔はまるで生きているかのようでした。
和尚が一喝すると、たちまち二人は白骨となった。
そして、境内は静かになった。
「裏見寒話」 追加 怪談 の項より
【裏見寒話とは、野田成方が甲府勤番士として在任していた享保九年~宝暦三年(1724-1753)までの30年間に見聞きしたり、調べた甲斐の国の地理、風俗、言い伝えなどをまとめたものです。只々聞いたものを記すだけでなく、良く考察されており、当時の様子や、一般の人達にとって常識だった歴史上の事柄を知ることが出来る。】
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。