物語
Old Tale
#1191
牛塚
ソース場所:甲府市善光寺3-36 善光寺 本堂東側鐘楼の東側
●ソース元 :・ 現地説明板より
・ 裏見寒話 巻之二 寺院 の項より
甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 (参照 2024-05-24)
●画像撮影 : 2017年02月04日
●データ公開 : 2017年02月07日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 信州善光寺には「牛にひかれて善光寺詣り」という言い伝えがある(昔、ケチで性悪なおばあさんがいました、ある時、おばあさんが洗濯した布を干しているところに、一頭の牛が現れ角にその布を引っかけて走り出した。牛を追いかけ追いかけしてとうとう善光寺まで来てしまった。そこで、おばあさんは仏さまに導かれてここまでお参りすることが出来たことに気付き、すっかり改心し信心深くなった)。 甲斐善光寺には善光寺へ参詣する途中疲れ果てて動けなくなった旅人を乗せ、ここまで来て死んでしまった牛。もしくは、夢の中で飼い主に善光寺詣りを願い出て、参拝するも間もなく死んでしまった牛。のお話と牛塚、角が伝わっている。
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霊牛碑
江戸芝牛町に、大切に飼われていた牛がおりました。延宝六年(1678)五月下旬のこと、その主人の夢に三晩続けて牛が現れ、「私を甲斐善光寺へ参詣させて下さい。そうすれば、必ずこの家は末永く栄えるでしょう。」と告げたのです。主人は不審に思っていると、六月初め牛は自ら小屋を出て、西に向かって駆け出してしまいました。主人はあわてて後を追ったのですが、捕まえることが出来ず、先日の夢の告げも思い合わせ、放っておくことにいたしました。
一方この牛は、四谷口から甲州街道を一路ひた走り、六月十八日板垣村善光寺に到着し、金堂に参詣いたしました。四足を折り伏して頭を垂れる様は、まことに人が善光寺の如来様を拝むかのようであったと申します。数刻の後、おもむろに立ち上がり、金堂の東側に駐まること七日間、八日目にようやく帰路につきました。
江戸に帰った牛は、三十日ばかりして突然死亡しましたが、その身体には円光が輝いていたということです。主人は、日頃信仰する阿弥陀如来像の再来かとねんごろに供養し、牛の角を当山に寄進したのです。一本の角はこの地に埋め、五輪塔を建立して、信心深い牛の末代までの記念といたしました。その後、霊夢のごとく主人の商売は繁昌し、福徳円満に暮らしたと伝えられております。そのため、開運福徳の霊牛として、この碑を参詣する人が絶えないのです。なお、もう一本の角は寺宝として現存しており、宝物館で一般に公開いたしております。
現地説明板より
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牛塚
これは武蔵国から来た甲斐善光寺参詣の者が、途中疲れ果て、笹子峠を登る事も出来なくなってしまった。この先も山道はますます険しいと聞く。諦めて故郷に帰るしかないかなと思っているところに、一匹の放れ牛が現れ彼を背に載せ善光寺まで連れてきてくれた。彼は平素からの願い(善光寺に詣でたい)を叶えてうれしく思っていると、連れてきてくれた放れ牛が突然倒れた。 「牛にひかれて善光寺詣り」とはこの時から始まったと云う。
この牛は、仏縁により善光寺に埋葬され、ここに牛塚が築かれたという。
裏見寒話 巻之二 寺院 の項より・・・「甲斐志料集成」3 p147
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