物語
Old Tale
#0516
小菅遠江守の城址
ソース場所:小菅村川久保(天神山城跡)
●ソース元 :・ 城跡由来書
●画像撮影 : 2014年09月08日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 山梨県北都留郡小菅村、丹波山村を只々山深い地のように思われる人もいますが、この地は昔から萩原筋(塩山方面)・武州秩父口(埼玉方面)・武州杣保口(奥多摩方面)へと通じる要所でした。甲斐の国にこっそり侵入する時も、密かに抜け出すときもこの地を通る者がいた事でしょう。古くは敗走中の平将門が抜けていったというような言い伝えもあります。この地を警護することは甲斐の国を守る大切な役目でした。そして今も、武州方面から比較的手軽にアウトドアを楽しむために人々が訪れる地です。
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小菅遠江守信影(こすげとうとうのかみのぶかげ)の城跡(城跡由来書より)
ここ小菅村には、先住民族がながく住んでいました。村としての形態をなしたのは鎌倉時代以降で、根津氏、加藤氏、小菅七党などの諸氏が拓いたといわれています。
その後、各地に武将が割拠する戦国時代を迎えると、甲斐の国主武田信昌は武州と接する要地のここ小菅に、一族の小菅遠江守信景を配して、萩原筋(塩山方面)・武州秩父口(埼玉方面)・武州杣保口(奥多摩方面)の警護に当たらせました。信昌は信玄の三代前の国主で、武田家は信昌・信綱・信虎・晴信(信玄)・勝頼と続きました。
天神山は、この小菅遠江守信景の築いた山城です。その時代の山城は、非常時に立てこもる砦で、日常は麓に館を構え、そこで生活をしていました。信影の館は、小菅小学校の近くにありました。今も、土地の古老はこのあたりを「お屋敷」と呼んでいます。
また、天神山という地名は、この山に城を築いた信景が、山頂に天神・地神・八幡を相殿とした小祠をまつったことに由来しているようです。今日でもこの山には峰続きにある堀切、山頂から少し下った所にある曲輪(周遊道)虎口など、随所に当時の山城の痕跡が見られます。
武田家の家臣として数多くの武勇を誇った小菅氏ですが、勝頼の自害とともに武田家が亡ぶと一族の中で小菅五郎兵衛尉忠元は織田信忠に殺されました。
家康公の旗本になった小菅又八郎信有、小菅次郎三郎信久、小菅九兵衛、他に仕官した者もいれば帰農した者もいました。
現在、関東を始め、広く全国各地に残る「小菅・古菅姓」は小菅村が発祥の地であります。 (川池地区 雄飛)
(現地「城跡由来書」より)
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。