物語
Old Tale
#1282
コイワザクラ(三ッ峠山)
ソース場所:三ツ峠 三ツ峠山頂付近の屏風岩の手前にとよが参詣した神鈴権現社がある
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月08日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 昔、三つ峠の麓に、働き者で気立ての良い娘がいた。彼女の事は近郷で評判になっていたが、家から滅多に出る事もなく、男性に声をかけられれば怖がってしまうような娘だった。簡単に手に入らない物を渇望するのは人の常。若者たちは我こそはとアプローチすれどもなびかぬ娘に「困らせて、そこを助けたら気を引けるかもしれない」と、年に一回の娘のお出掛け、三ツ峠大権現の祭りの日に娘が山に登ったタイミングで草に火をつけ、逃げる娘を助ける算段でしたが、存外、火は大きく燃え広がり、助けるどころではありませんでした。火事がおさまり見に行くと、娘は小岩の陰で亡くなっていました。翌年から、その岩の周りに可憐な花が咲いていました。人々は娘の化身と考え「コイワザクラ」と名付けました。
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コイワザクラ
三ツ峠のふもとの村に、とよという娘がいた。昔は男女の仲について、親も世間も厳しくて、話をするような機会は与えられなかったけれど、働くことが楽しくて夢中で機を織るとよには、男のことなど心の中になかった。
「親の言うことはよく聞くし、働き者で美人で孝行娘だと、世間の人からほめられる」と話をする親のうれしそうな顔を見るのが、何よりもうれしくて、毎日を生き生きと過ごしていた。
働き者で気立ての良い娘だということで「あの娘を嫁にもらう者は得だ」とうわさが立つようになり、評判はよその村まで聞こえるようになった。「どんな娘か見たいものだ」と思うよその村の若者が大勢いた。
家からめったに外へ出ることのなかったとよも、五月五日年に一度の三ツ峠大権現の祭りの日には必ず参詣した。それを若者達が知ると、とよの通る道に待ち伏せして、次から次へと言い寄った。見知らぬ男に声をかけられるので、ただもうこわくてこわくて、聞こえないふりをして、口もきかずに参詣だけ済ませると、とよはそそくさと家にもどった。
こんなことが二年、三年と繰り返されるうちに、とよはますます美しくなり若者達の羨望のまととなっていた。なびこうとする気配がないとなると若者達の心は一層かきたてられ「我こそは」と、とよを物にすることを競い合うようになっていた。若者たちは「とよを困らせて、困っているところを助けてやれば、きっと気を引くことができるだろう、山へ登ったら草に火をつけ、逃げるところを助けてやったらどうだろう」と助けくらべで娘をものにすることをたくらんだ。
五月の山里は野山が若葉におおわれるが、一七八六メートルの高山三ッ峠の山頂はまだ枯れ草におおわれたままである。若者たちにそんなたくらみがあるとは知らず、例年の習慣として権現参りに山頂まで登ったとよは若者達の放った助けくらべの火に囲まれた。すべての下り口は火でふさがり逃げ場を失ったとよは、頂上の小岩のかげに身をひそめた。若者たちは予期せぬ火勢に助けるすべもなく、悲鳴をあげて逃げまどう姿をただおどおどと見ているだけであった。火事がおさまり、探してみると、小岩のかげに身をひそめたまま、とよは死んでいた。
翌年、供養に山に登ってみると、山頂には一面に桃色のサクラ草が小岩を取り巻いて咲いていた。人々は美しかったとよの化身と考えて「コイワザクラ」と名を付けた。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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