物語
Old Tale
#1557
甲金(甲州金)
ソース場所:今の甲府市武田一丁目、朝日四丁目付近 新紺屋小西側の通り辺りが旧竪町
●ソース元 :・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編 甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 (参照 2024-08-27)
●画像撮影 : 年月日
●データ公開 : 2020年08月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
【概要】 現在日本で流通している硬貨や紙幣は、その製造コストと貨幣の価値はイコールではありません。偽造防止の高度な技術が使われ製造されていることと、使用する側の製造側への信任があって初めて「貨幣価値より製造コストの低い貨幣(一円玉に関しては製造コストの方が高いそうですが)」が価値をしめすようになります。
古くは各地の大名が金貨を鋳造してきたが、それは金自体の重さで価値を示すものだった。しかし、室町時代に甲斐国で、金貨に刻まれた額面が貨幣価値を示す金貨(甲金)が造られ、それは信用ある貨幣として流通するようになった。
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甲金(甲州金)
戦国時代、各地の大名が金貨を鋳造したが、それは秤量貨幣(金自体の重さで価値を示す貨幣)だった、しかし甲州金は金貨に刻まれた額面がその価値を示していた。その起源は不明だが、室町時代には武田氏と推測される甲斐国の者が作った日本で初めて体系的に整備された貨幣制度であり、それに用いられた金貨のことを甲金(甲州金)と呼ぶ。この甲金は武田氏の作った地方通貨ではありましたが、武田氏滅亡後、江戸時代の文政年間まで甲府の金座で鋳造され、明治四年、新貨幣条例施行の11月13日に廃止されるまで流通していた。
江戸時代に記された「裏見寒話」(裏見寒話とは、野田成方が甲府勤番士として在任していた享保九年~宝暦三年(1724-1753)までの30年間に見聞きしたり、調べた甲斐の国の地理、風俗、言い伝えなどをまとめたものです。只々聞いたものを記すだけでなく、良く考察されており、当時の様子や、一般の人達にとって常識だった歴史上の事柄を知ることが出来る。)に江戸時代の人が古の甲金についてリスペクトしている一節があるので記す。
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甲金は元「碁石金」といった。太古は知らないが中興の古金の形が碁石のようだった。
宮崎若狭守 勤役の時、古府新竪町の空き地から古い甲金が出てきた。数などは不祥だが、今の甲金とは形も刻印も違っていた。この出土した金は官庫にしまってあるという。
ある説だが、勝頼が新府を敗走して野田の奥にある天目山に籠った時、御曹司(信勝)以下家臣は土屋、秋山などをはじめとする四十四人だけだった。
古府広小路に勝頼のお気に入りの餅菓子屋があった。新府へ城が引っ越したので、餅菓子屋も韮崎に家を移そうとしていたが、あっという間に甲斐の国は乱れ、城主は敗走してしまった。「こんなにも繁栄した御屋形様だったが、武運が傾いて敗走するようになってしまった。長坂とか跡部(*「甲陽軍鑑」には長坂・跡部の逃亡と記されているが、「信長公記」によると長坂光堅・跡部勝資は勝頼らと共に最後まで戦い戦死したという)と言った寵臣たちもこの期に及んで変心してしまった。私達が今まで妻子を安楽に養ってこれたのも、御屋形様の厚恩があったからだ。私は商人の身で、武器を取ってお助けすることもできない。」餅菓子屋は妻と一緒に勝頼の事を思って涙した。そして、夫婦は御屋形様の安否を心配して、せめて自分たちにできることはと、重箱にきれいに作ったまんじゅうを詰めて、はるばる田野の奥山へ行き、勝頼が隠れているあたりまでたどり着くと、不審な様子の農家に主従が隠れていた。餅菓子屋は泣きながら「中の方へ」と伝えてもらった。奥から小原丹後が出てきて、夫婦の厚志を聞き大いに感謝し、勝頼に披露を取り次いだ。勝頼もまた感じ入って「武田の類葉や譜代の臣下ですら今に至って変心し、ようやくここに並ぶ者達だけがついて来てくれている。お前たちの私を慕う思いに本当にうれしく思う」そう言って手ずからまんじゅうを取り、御曹司や家来たちに手渡した。そして「今は用心しなければならない時なので、他から入って来る食べ物を取ることができなかった。今、このまんじゅうを食べて、お前たちの無二の忠心を受け取った」と笑った。夫婦は泣きはらし、面を上げることも出来なかった。
勝頼や家臣たち一同が言った「あなたたちの忠義の程がわかった。もうすぐ川尻(河尻肥後守秀隆)の軍勢がやって来るだろう。早く帰りなさい。」と勝頼が重箱の中に甲金を入れ「これは今生の記念品だ。いつか生まれ変わって再会しよう」と渡した。夫婦は拝受して、名残を惜しんで立ち尽くしていた。すると突然四方にざわめきが起こり、大軍が押し寄せてきた。夫婦は山路を伝って逃げ延び、後ろを振り返れば馬に矢を掠め、戦う音が地を轟かした。夫婦は辛うじて走って、ようやく府中に戻った。
しかし、府中は敵軍がかしこに入り乱れ、広小路のあたりは猛火に包まれ家に近づくことも出来なかった。うろたえていると、一騎の兵がスッと近づき餅菓子屋の主をいきなり切り伏せた。女房はあわてて重箱を井戸に投げ込み、必死に逃げた。
戦火が鎮まり、兵たちが去った後、餅菓子屋の女房は戻って井戸を探した。広小路中の井戸を探したが、金も重箱も見つけることは出来なかった。
今の新竪町は広小路の隣町である。百年余りを経て重箱は朽ち果て、金のみが残った。そんなこともあるかもしれない。
裏見寒話 巻之六 産風 の項より
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