1144│馬蹄石

ソース場所:甲州市大和町日影 県道212号線天狗橋脇
●ソース元 :・ 甲州市による宿場案内看板
・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 2017年03月11日
●データ公開 : 2016年11月18日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要]
馬蹄石
笹子峠の西麓にあった駒飼宿は、江戸時代には幕府の公用を確立する役目を果たし、旅行者の休泊のため、本陣・脇本陣・旅籠などが設けられた甲州街道の要所として知られていました。
笹子への道の往還を、人が休み、その名の通り馬が餌と水を与えられたこの宿場は、今も家が建ち並び、往事の雰囲気を残しています。 (甲州市による宿場案内看板より)
宿場の中心に立てられた往時の宿場案内図によると、駒飼石(馬蹄石)は笹子峠を下りてきて駒飼宿の入口附近、今の県道212号線天狗橋脇にあった。水害の後、砕き割られたといい見ることが出来ない。駒飼宿の地名もこの石の名に由来するという。今はその場所に「津島大明神」の祠が祀られている。
この石には聖徳太子伝説がある。古来より優秀な馬の産地として知られる甲州は、各地に朝廷の牧場があった。太子がこのあたりで甲斐の黒駒を飼養されたと云われ、駒飼石(馬蹄石)の表面には空さえ飛び、富士山にも登ったという伝説がつたわる神馬「聖徳太子の黒駒」の馬蹄の跡が二つ残されていたという。
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馬蹄石 東山梨郡大和村駒飼
駒飼石ともいう。高さ七尺五寸、横五間に三間の大石で、石面に馬蹄の跡二十一あり、古傳に、上宮太子が甲斐の黒駒を飼養し給うた所で、村名もここから起こったという。この石のために笹子川の水が沮まれ、水害で民家が多く損じたから、今は砕き割って僅かに一部分が残っているだけである。 (東山梨郡誌)
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会