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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、 産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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#1191

牛塚

ソース場所:甲府市善光寺3-36 善光寺 本堂東側鐘楼の東側


●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会     
       ・ 現地説明板より            
●画像撮影  : 2017年02月04日
●データ公開 : 2017年02月07日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概要]  信州善光寺には「牛にひかれて善光寺詣り」という言い伝えがある(昔、ケチで性悪なおばあさんがいました、ある時、おばあさんが洗濯した布を干しているところに、一頭の牛が現れ角にその布を引っかけて走り出した。牛を追いかけ追いかけしてとうとう善光寺まで来てしまった。そこで、おばあさんは仏さまに導かれてここまでお参りすることが出来たことに気付き、すっかり改心し信心深くなった)。 甲斐善光寺には善光寺へ参詣する途中疲れ果てて動けなくなった旅人を乗せ、ここまで来て死んでしまった牛。もしくは、夢の中で飼い主に善光寺詣りを願い出て、参拝するも間もなく死んでしまった牛。のお話と牛塚、角が伝わっている。

牛塚   甲府市善光寺町
定額山善光寺の境内にあり、昔善光寺へ参詣する者が疲れて笹子峠を登りえず、引き返そうとしていると、一匹の放れ牛がこの旅人をのせ、善光寺へ連れて来て参詣させ、牛は忽ち死んだ。この牛仏を埋めた所を牛塚と云い、「牛に引かれて善光寺詣り」とはこの時から始まったという。   (裏見寒話)

また一説には、延宝六年五月江戸芝牛町の某家の牛が、自ら放たれてこの善光寺に詣で、十七日の後に帰って来て死んだ。主人はその骨をこの寺に送って、埋葬方を乞うたので、ここに牛塚を建てたともいう。   (西山梨郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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霊牛碑
江戸芝牛町に、大切に飼われていた牛がおりました。延宝六年(1678)五月下旬のこと、その主人の夢に三晩続けて牛が現れ、「私を甲斐善光寺へ参詣させて下さい。そうすれば、必ずこの家は末永く栄えるでしょう。」と告げたのです。主人は不審に思っていると、六月初め牛は自ら小屋を出て、西に向かって駆け出してしまいました。主人はあわてて後を追ったのですが、捕まえることが出来ず、先日の夢の告げも思い合わせ、放っておくことにいたしました。
一方この牛は、四谷口から甲州街道を一路ひた走り、六月十八日板垣村善光寺に到着し、金堂に参詣いたしました。四足を折り伏して頭を垂れる様は、まことに人が善光寺の如来様を拝むかのようであったと申します。数刻の後、おもむろに立ち上がり、金堂の東側に駐まること七日間、八日目にようやく帰路につきました。
江戸に帰った牛は、三十日ばかりして突然死亡しましたが、その身体には円光が輝いていたということです。主人は、日頃信仰する阿弥陀如来像の再来かとねんごろに供養し、牛の角を当山に寄進したのです。一本の角はこの地に埋め、五輪塔を建立して、信心深い牛の末代までの記念といたしました。その後、霊夢のごとく主人の商売は繁昌し、福徳円満に暮らしたと伝えられております。そのため、開運福徳の霊牛として、この碑を参詣する人が絶えないのです。なお、もう一本の角は寺宝として現存しており、宝物館で一般に公開いたしております。

現地説明板より

 

このデザインソースに関連する場所

35.665695, 138.593348

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