物語
Old Tale
#1232
長者窪
ソース場所:北杜市明野町小笠原 長者窪
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月16日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 北杜市明野町小笠原の辺りは、大昔に噴火した茅が岳裾野で、水利に恵まれていなかった。古来から、馬を産する牧として有名だったので、牧としては優れていたのでしょうが稲作には向かなかったのでしょう。 小笠原の辺りに、一帯を支配する長者がいました。土蔵にお米がいっぱい積み込んである大金持ちでしたが、周りの村人達はやせた土地で苦労していました。
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長者窪
昔、小笠原にそのあたり一帯を支配する大地主が住んでいました。長者は大勢の召使を雇い豪勢な暮らしをしていました。そこでこの土地を長者窪と呼ぶようになったのです。
長者の家の土蔵にはいつもお米がいっぱい積みこんであって、やせ衰えた貧しい村の人々にくらべこの長者は丸々と肥え、健康そのものでした。ところがある年のこと長者が急に病気で倒れてしまいました。病名ははっきりしません。名医をつぎつぎと招いても結局診断がつかずサジを投げてしまいました。たまりかねた長者は日頃信仰していた、御岳の金桜神社に家族の者を代参させました。代参の者が神前にぬかずき祈りを続けていると、神宮が神のおつげをしました。「今長者の住んでいる村は水に恵まれず、土地がやせていて作物はとれず、百姓たちはその日の生活にも苦しんでいる。それで長者の蔵の中の米をうらやみ、しかうらんでいる。そのうらみで長者の病気は重いのだ」といいました。この報告を聞いた長者はさっそく蔵の中のお米を全部運び出し、百姓たちの家族数に応じて無料で分けてやりました。百姓たちは泣いて感激しました。それから数日後不思議にも長者は気分が爽快になり、病気はうそのように全快してしまいました。長者は神の助けに感謝し、さっそく御礼まいりをした上、自分の家から金桜神社に通じる参道に大きい石の鳥居を寄進しました。そして小作人が納める年貢米を今までの半分としたため、百姓たちの暮らしは大分楽になり情深い長者様よと感謝されたといいます。
この石の鳥居は今でも長者窪の一角にたっています。また長者窪の中程に「ぬか山」という雑木の小山がありますが、これは長者が百姓たちに米を分ける時、精白してできた籾ぬかがこぼれた跡だと伝えられています。 (明野村)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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